(94)世界旅行の間のお留守番

bostonkakku
ぐるぐるパン

人の縁とは不思議なもので、ひょんなことがきっかけで、私はトーベ・ヤンソンが気にかけていた画家に会いに行った。71年秋、トーベ・ヤンソンがパートナーのトゥーティとふたりで世界旅行に出かけたときに、トーベのアトリエでお留守番をしていたのは彼女だ。81歳のピルッコは、当時の話もさることながら、40年以上前の姿が容易に目に浮かぶほど、当時の可愛らしさをそのまま残す女性だった。

「さあさあ、まずはコーヒーにしましょう」そう言って、気さくにキッチンに招き入れてくれ、お手製の「ぐるぐるパン」とコーヒーを用意してくれる。こんな素敵な人がトーベの近くにいたという、それだけで私は胸がいっぱいになりそうだ。

ぐるぐるパンというのは、フィンランドで「ボストンケーキ」と呼ばれているもの。トーベは夏の島暮らしで、好んでこれを買っていたという。そしていつだって「ぐるぐるパンちょうだい」と、自分で勝手につけた名で買い物していたそうだ。

40年以上も前のことを思い出すのは難しい。それでも断片的に、小さなエピソードをいくつも思い出してくれた。

旅に出るトーベが一番気がかりだったのは愛猫プシプシーナだった。トーベの提案で、ピルッコとプシプシーナは前もって試験的な二人暮らしもした。トーベはプシプシーナにあげる魚のこだわり調理法まで丁寧に教えてくれたそうだ。

お試し期間中、実はちょっとした事件があった。アトリエにある大きな木製の作業台でアイロンをかけた日のこと。アイロンを消し忘れたまま寝てしまい、咳で目が覚めると煙が充満していたという。自分の尊敬するトーベのアトリエでこんなことをやらかしてしまった。しかも、作業台にはくっきりと焦げた跡まで残っている。そんなピルッコにトーベはこう言った。「心配しなくていいの。これで、もう一回起きてくれたじゃない。だからもう大丈夫。」…まるでムーミンママのようだ、ピルッコはそう思った。

トーベのアトリエの留守番をする日々は、とにかく絵を描くのが楽しかったという。大きな絵を沢山描いた。それは小さなワンルーム暮らしではできないことだった。自然光がふりそそぐアトリエ。ところで試験的に暮らしていた時期、実はピルッコが絵を描いていると、トーベが時々絵を見にやってきたのだという。ほめられると嬉しくて、つい描きすぎてしまい、でもトーベはそれを気づかせてくれることも上手だったそうだ。



話はかわって5月31日に京都の恵文社一乗寺店で『トーベ・ヤンソンの世界旅行』を上映します。ピルッコが留守番していた時期のトーベの旅の記録。71年日本から始まった世界旅行を撮影した8mmを編集し、フィクションに仕上げた映画です。詳細はこちらをご覧ください。
http://moomin.co.jp/matkallatovenkanssa


森下圭子

matkamuisto
世界旅行から戻ったトーベがピルッコに贈ったお土産のブローチ