(126)日本のムーミンを追うフィンランド

『ムーミンパパ海へいく』の初版本。パパの灯台の島の地図には北緯東経が記されており、「フィンランド湾」とある。ちなみにこの挿絵、のちにばっさり削除されたり、フィンランド湾表記はあるものの北緯東経の表記が削除された地図になっていたり(私の手元にある日本語文庫版と電子書籍版はどちらもこれ)と、場所が曖昧にされているバージョンもある。

2017年に日本が世界初演となったフィンランド国立バレエ団の『たのしいムーミン一家』。いよいよフィンランドで初演を迎える。『ムーミン谷の彗星』とは振付家も音楽も、美術や衣装もかなり違う。日本公演をチェックしていた人も多く、フィンランド公演をまだかまだかと待っていたのだ。チケットはまたしてもソールドアウト。相変わらずのムーミンバレエ人気だ。

フィンランドのムーミン好きたちの中には、日本のムーミンの動向を追うのが日課になっている人も少なくない。日本のムーミングッズを把握しているだけでなく、日本のムーミングッズを集めている人たちすらいる。

さて、ムーミン好きの間だけでなく、広くフィンランドで日本のムーミン事情が話題になった。

センター試験の地理の問題で『ムーミン』が登場したけれども、ムーミンの舞台となった国はという件で、SNSが、さらにはマスコミが大騒ぎし、ムーミン谷について官房長官にまで質問が及んだという記事がフィンランドで出たのだ。最初にこれを報じたのはムーミン美術館のあるタンペレの新聞、アームレヘティ紙。その後フィンランド最大のヘルシンギンサノマット紙、さらにタブロイド紙も記事にした。

記事としては、ムーミン谷がどこか、ムーミンの舞台は特定の国にあるのかという話ではなく、日本がムーミンをめぐって大騒ぎしているその様子を伝えているのだけれど、フィンランドらしく「でもスウェーデンが口をはさんできた」とスウェーデン大使館がムーミン谷とスウェーデンを結び付けてきたということをしっかりと伝えていた。そう、フィンランドにとってスウェーデンは永遠のライバルなのだ(大好きなんだけど)。

今回のセンター試験の問題では、一般に昭和ムーミンと呼ばれる最初のムーミンアニメの絵が使われていた。実は初代ムーミンのおおすみ正秋監督は映画『かもめ食堂』のチームで一緒で仲良くなった友人のお父さまという不思議なつながりがあり、以前お話を伺う機会に恵まれた。ムーミンがアニメ化されると決定された当初、ほとんど知られていなかったムーミンを(しかも作品はフィンランド生まれ、北欧などピンとこない人が多いのにどうすればいいのか)、しかも長編の物語を30分のアニメーションにすること、原作の挿絵のムーミンをどうやったら表情の豊かなキャラクターとしてアニメの中で動かせるのか。ひとつひとつの問題を丁寧に検討し、時に斬新な閃きに導かれるように30分のアニメシリーズとして、ムーミンの世界観を完成させていった。

ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンはスウェーデン語を母語にするスウェーデン語系フィンランド人だ。ムーミンの最初の物語は、戦争中に書かれたもので、戦争という現実から逃げるように、トーベは子供の頃の愛読書のあれこれの要素をヒントにして書いたのだとインタビューで答えていたことがある。異国情緒もあり、でも挿絵の中にフィンランド人が大好きなファッツェル社の板チョコが描かれていたりもする。

トーベ・ヤンソンのムーミンはそこから始まり、その後も異国情緒はときどき現れた。挿絵の中には、異国情緒すぎて、のちに削除したものもある。かと思えば『ムーミンパパ海へいく』の挿絵のようなケースもある(画像参照)。ムーミンのシリーズはムーミンたちが成長するとともに挿絵のトーンもどんどん変わり、話の内容もどちらかといえば(本人の気持ちとしては)大人向けになっていった。ムーミンには話のあちこちにトーベ・ヤンソンの数々の旅やエピソードの影響が 見受けられる。フィンランド国内でも「ここのこれをヒントにして」と言われる場所がいくつもでてくる。ムーミンシリーズの最後、『ムーミン谷の十一月』は、ヘルシンキで2週間ほど執筆していたもののうまくいかず、夏を過ごすばかりだったペッリンゲの群島へ初めて11月に行き、子供の頃に住んでいた家の屋根裏部屋で執筆を続けた。毎日11月の森を歩き、その森の風景は『ムーミン谷の十一月』の挿絵になった。でもその森は霧がかかっているような、点線で描かれる森の風景は、今にも消え入りそうで、それはまるでトーベ・ヤンソンの気持ちを代弁しているようだった。ムーミン谷の物語はこれでおしまい。あとは読む人たちの心の中でこの風景は生きていくのです、とでも言われているような。

私自身は昭和のムーミンで育ち、ムーミンのアニメも原作も大好きになった。でも、実のところムーミンがフィンランドで生まれた文学だということも、作者がトーベ・ヤンソンという人だということも、トーベという名前は女性の名前で、しかも彼女はスウェーデン語を母語とするスウェーデン語系フィンランド人ということを知ったのも大人になってからだった。それまで知る必要を感じなかったから。単純に、アニメや本でムーミンの世界にいることが楽しかった。ときどき自分の周りを見渡して、自分の周りをムーミン谷のように想像することが楽しかった。それだけだ。大人になって、あるとき「この文学が生まれた背景が気になる」と思って、初めて私はフィンランドのこと、作者のことを調べ始め、気づいたらフィンランドにまで来てしまった。もう24年になる。

この公式サイト内でも今回のセンター試験に関連して「ムーミン谷に住んでみたい。そう思った瞬間、あなたはもうムーミン谷の住人なのです」というトーベ・ヤンソンの言葉を引用している。そしてムーミン谷は、自分がそうだと思えばそこがムーミン谷になるんだと思う。子供の頃の私がそうだったように。

一方で、ムーミンのお話の中にはフィンランドの習慣やフィンランドの季節、自然を知っていると、フィンランドの人たちの価値観や人の生き方を知ると、また違った面白さが見えてきたりもする。フィンランドの人たちが自分たちのことのように読んでること、当たり前の風景として見ている物語の中の風景も、私たちには珍しいものがあちこちにある。

なのでこれからもこちらでは、フィンランドの自然や習慣、食べ物のことやフィンランドの人のムーミンの話など、あれこれフィンランドのお話をさせていただきます。ムーミンを読むときに、また違った読み方や面白さを発見していただけたらと願っています。

森下圭子

インスタントのオートミール。カップにいれてお湯を注ぐだけ。フィンランドのお土産にもいいかも。