(69)ムーミンだらけの島のお祝い

8月になると長い夏休みを終えて街に人が戻ってくる。学校は新学期が始まり、大人たちも友達と久しぶりの再会に忙しい。ヘルシンキでは8月の後半に街のあちこちでイベントが繰り広げられるフェスティバルもあるし、なんだか毎日が、お祭りのようなうきうきした気持ちで過ぎていく。

こんな時期に『ムーミンパパ海へいく』の舞台といわれるソーダーシャールの灯台の島で、お祝いがあった。灯台は今年でちょうど150年。帝政ロシアの時代を生き、第二次世界大戦も乗り越え、優れた技術を用いながら灯台として重要な役割を果たしてきた。10年近くの歳月をかけて修復したものの、コンクリートを塗りなおすなどの大掛かりなものはコストの関係もあってなかなか実現しにくい。コンクリートの専門家が「奇跡じゃないかと思うくらいに、あの条件でよくこの状態をキープできてるものだと思う」と言っていたけれど、灯台はいまでも圧倒的な存在感でそこにある。ビクともしない、というよりどんな天候の中でも、どしりとそこにいるのだ。

招待客向けのお祝い1日を含む8月の終わりの週末に3日間、灯台のお祝いがあった。多い日は1000人が島に上陸したという。つり橋は揺れがひどくなることもあるし1度につき橋の上にいるのは3人ということを口すっぱく言われるのに待てないのか冒険なのか30人ほどがずらりと一緒に橋を渡っていたり、いい歳したおじさんがわざと手放しでつり橋を行ったり来たりしていたり。秘密の扉をあける心地でどこかの扉をあけてみたら、さっそくもう冒険してたおばさんが飛び出してきたり。人のいない方いない方へと岩を降りていく人、岩に腰をおろして小屋の壁にもたれかかり、いつまでも青い空を眺めている人。灯台にのぼって上から外を眺めている人をみて「ずるーい!」と黄色い声をあげる大人までいた。なんだかみんな大人なのに、好き勝手に時を過ごし、それぞれの好奇心が誰の目から見ても明らかなくらいにほとばしりでていた。こうしなさい、ああしなさいなんていう声はもう聞こえてこない。ずるいと叫んでいた国会議員はちょこちょこと走っていって、そして灯台の上で嬉しそうに写真を撮っていた。知らない人たち同士なのに、目があうとなんとなく微笑みあって言葉を交わす島。みんながムーミンみたいに無邪気で、そして繊細で、なんとも自由で楽しそうで。灯台のことよりも、こんなお祝いのおかげでたくさんのムーミンに出会えたことがとても嬉しかった。ありがとう。

森下圭子

ふわふわの藻で覆われた岩の窪みの大きな水溜りのことをトーベ・ヤンソンはビロード池と呼んでいた。

小さな島にぽつりと建つ水先案内人の小屋。ソーダーシャールの灯台の島とは2つの橋でつながっている。