(58)森としっぽ

友達とのきのこ狩りで森にいた先日のこと。途中で完全に方向感覚を失ってしまった。ひとりが得意気に「ほら、コンパスもってきたよ!」と取り出したはいいけれど、「ところでコンパスの針って黒が北?赤が北?」って......どうにもならない。

実はきのこに夢中になりすぎて方向がわからなくなったことは、これまでにも何度かある。そこで教えられたのは、「迷ったと思わない限り、迷子にはならない」ということだ。でもそんな境地に辿りつくまでには時間がかかった。方向感覚がぐっちゃになって「しまった」と思った瞬間に焦りだす。来た道を必死に探せば探すほど、目印になりそうなものが思い出せない。森はどこも同じように見たことがありそうで、または見たことがないように思えてくる。迷子だ。不安になれば周囲の音まで怖くなる。ただ風が葉を揺らす音だって、オオカミが息をひそめてこちらに近づいているように聞こえてくるのだ。

方向がわからなくなったら冷静に周囲を見渡そう。太陽はどこか、枝はどちらにより伸びているか、蟻塚はどこにあるか。そんな風にして方角を見極めていって、自分が戻るべきほうへ少しずつ歩いていけばいいのだ。そして相変わらずきのこを見つけたら前のようにウホウホときのこを摘んで、ベリーで喉を潤したりしながら歩けばいい。森は相変わらず新しい発見がたくさんで、そして新たな興味や好奇心を大いに刺激してくれるところであり続けてくれる。

ムーミンの世界には闇の鬱蒼とした感じや森の中の先のわからないドキドキや自然の猛威に次々と出会う。でも、読むたびにその印象が変わるのは、きっとそれらがとても客観的に描かれているからなのだ。誰かの先入観、つまり私が森の中で「迷子」と感じたときに次々と襲ってくるような気持ちのフィルターを表現の中に持ち込んでいないからかも?…ふとフィンランドの人と森の関係を意識しながら、そんなことを考えた。

フィンランドの人たちに比べて森にいる時間が少ない私が森の中に入るときにやっているのは、自分の尾てい骨の辺りに、来た方角を記憶させるということ。なんでこんなことを思いついたのかは記憶にないけれど、これが妙に効果的なのだ。尾てい骨っていったらしっぽ…しっぽの名残り。ムーミンにしっぽがあるのはとても自然なことなのかもと勝手に納得しちゃったりして。そういえばムーミンのおはなしの中には「しっぽ」を強調するような場面が何度もあったっけ。しっぽを気にしながら、この秋はムーミンを再読してみようと思う。

森下圭子

>ムーミンにしばしば登場するジャムやジュース。こちらは「こけもも」。ペクチンが豊富だから砂糖だけでジャムが作れる。

トーベが過ごした森にはこのスッピロヴァハヴェロというきのこがたくさん。フィンランドでは1、2を競う人気きのこ。