(121)少女ソフィアの8月9日

コンサートのプログラム。表紙をはじめ、ところどころにムーミンの挿絵が差し込まれた豪華版。コンサートではフィリフヨンカをダンサーが演じたり、少年合唱団がニョロニョロを演じながら歌う場面もあった。

8月9日はムーミンの作者トーベ・ヤンソンの誕生日。今年フィンランドではタンペレ市が盛大にお祝いした。ムーミン美術館のオープンに始まり、タンペレはいまムーミン都市宣言をする勢いだ。ムーミンのための美術館を建てようというのも、それをタンペレホール内にしようということも、さらにオープンを夏休みに間に合わせたのもタンペレ市が決めたことだった。そのタンペレが地元の作曲家にオーケストラ向けのムーミン音楽を依頼。『ムーミン谷の仲間たち』の短篇を楽曲にし、それをタンペレフィルが本拠地のタンペレホールで演奏する。ムーミン美術館で企画展も始まった8月9日に、ガーラコンサートと題してお披露目となった。

今晩のコンサートはソールドアウト。会場は満席だった。ステージにはオーケストラの椅子が並んでいる。いまかいまかと観客が待つなか、最初にステージにあがったのはトーベ・ヤンソンの姪、ソフィア・ヤンソンだった。『少女ソフィアの夏』のモデルになった女性でもある。大勢を前に、ソフィアの声は少し震えていた、でも子どもの頃の思い出になると、声には明るさが戻り、彼女の周りは夏の太陽の匂いがする、海と島々の風景になった。

「夏になると、8月9日の日を待ちわびていた。その日は一日お祝いになるからだ。そう、いつだって、まるまる一日お祝いになった。

その日、パパと私は朝からそわそわしていた。まず小屋で清潔な服を探すことから始まる。水道がないので、めったに服は洗わなかったのだ。でもなんとかなるもので、いつもどこかしらの箱から一着くらい、きれいな服が出てきた。

バラの季節もそろそろ終わり。バラは忘れちゃいけない。おそらく今年の最後となるバラの花を切って、一輪ずつカゴに入れる。カゴにはその他にプレゼントを、そして私の手描きのカードを入れた。

さあ、行こう。ボートで向かう先はクルーヴハル島。トーベは妖精みたいに軽やかにやってきて、私たちを歓迎してくれた。自分の誕生日には、お気に入りのオレンジ色のブラウスを着ることが多く、しばしば花を耳にかけ飾っていた。

この日は一日たっぷりお祝いをする。やがて海のあちこちから、お客さんたちは集まってきた。ご馳走もあり飲み物があり、そうそう、こんな時にトゥーティ(トーベのパートナーのトゥーリッキ・ピエティラ)は気配りを欠かさない。音楽のことまで万全なのだ。ラジオから音楽が流れてきた。

みんな、いつかいつかと待っている。トーベが踊りだすのを待っている。トーベは踊るのが大好きで、みんなもトーベの踊りを楽しみにしていたのだ。」

ソフィアの話を聞きながら、なんとなくコンサート会場にトーベ・ヤンソンもトゥーティもいるような心地がした。

どこかドラマチックで、でもメランコリーに包まれたり、冒険が始まったりする。爽やかな風が吹いたかと思えば、心の中のもやもやに出会ったり。そうやって音楽を聴いていた終盤、愛と別れの歌が流れた。トーベが作詞した『秋のしらべ』(作曲はエルナ・タウロ、1965年)だ。この曲はフィンランドの人たちの心の琴線に触れる。あちこちで涙をぬぐう様子が伺えた。

森下圭子

カーテンコール。最後はやはりムーミン美術館のメインビジュアルでもあるこの絵がスクリーンに映し出された。会場はスタンディングオベーションに。お誕生日おめでとうの気持ちも込めて。