手放すこと、本当に大切なもの――スナフキンがスニフに語ったお話
早いもので、2021年も1カ月が過ぎて2月に入りました。新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が発令されている地域の方も、そうでない方も、落ち着かない日々をお過ごしのことでしょう。今回は、医療従事者の方々に感謝の念を抱きつつ、お医者さんが登場する小説をご紹介したいと思います。
そもそも、ムーミンたちは病気になったり、怪我をしたりするのでしょうか? 厳しい気候のせいか、風邪をひくエピソードはしばしば登場します。『ムーミンパパの思い出』はムーミンパパが風邪で寝込んだときに書き始めた「思い出の記」に沿って過去を振り返るお話ですし、『ムーミン谷の冬』のエンディングではムーミントロールのくしゃみを聞きつけたムーミンママが冬眠から目を覚まし、特製のお薬を調合します。ムーミンやしきに姿の見えないニンニがやってきたときもムーミンママが大活躍。そう、たいていのことはムーミンママがどうにかしてくれるのです。
でも、スニフが大切にしていたセドリックという犬のぬいぐるみをガフサのむすめにやってしまい、後悔してくよくよと落ち込んでいたときは、さすがのママもどうすることもできず、「まあ、そうなの」としか言えませんでした。そんなスニフを元気づけようと、とっておきの話を披露したのがスナフキンです。それはスナフキンのママの父方のおばさんに起こった驚くべき出来事……。
ずっとむかし、一生かけて美しいものを集め、大切にしてきた女の人がいました。素晴らしい品々に囲まれて、しあわせな日々を送っていましたが、ある晩、冷たい骨つき肉を食べようとして、大きな骨をうっかり飲みこんでしまったのです! それから何日も体の具合が悪く、ちっともよくならなかったので、お医者さんに行きました。お医者さんは聴診器を当てたり、レントゲンをとったりして、あれこれと調べ、最後にこう言いました。「肉の骨がななめにつっかえてしまっていて、どうにもできません」。おろおろするような性格ではなかったおばさんは「あとどれぐらいわたしの命はあるんですか」と聞き、家に帰ると、残された二、三週間をどう過ごそうかとじっくり考えました。
おばさんは若い頃、やりたいと思っていたのに、果たせなかったことをいくつも思い出しました。アマゾン川を探検すること、みなし子のために大きな家を建てること、火山を見に行くこと、友だちみんなを集めて大パーティーを開くこと。すべてはもう、手遅れでした。きれいなものを集めるために時間を費やし、人生をかけてきたおばさんには、集まってくれる友だちなどいなかったのです。美しいコレクションに囲まれて、おばさんはだんだんゆううつになっていきました。だって、なに一つ、天国に持っていくことはできないのですから。ちっとも慰めにならない品物の山の中で、息が詰まりそうに感じていたおばさんの頭に、ある愉快な考えが浮かびました。……持っているものを全部、人にあげてしまうのです! だれに何をあげようかと考えている間、おばさんはとても楽しい思いをしました。友だちはいなくても、親戚や知り合いはどっさりいたので、みんなが喜ぶ顔を思い浮かべながら、贈り物を決めていったのです。一つまた一つと小包を送り出していくと、部屋は広々と、おばさんの気持ちは軽く、明るくなっていきました。人をびっくりさせることが好きだったので、プレゼントは匿名で送りました。でも、おばさんが次第に感じのいい、つきあいやすい人物に変わっていったので、友だちが次々と訪ねてくるようになりました。みんなは毎晩、たった一つ残ったおばさんの持ち物である天蓋つきの大きなベッドに集まって、こわい話や愉快な話で大盛り上がり。あまりにもおもしろい話に大笑いしたおばさんに、思いがけないことが……。
続きは「スニフとセドリックのこと」(『ムーミン谷の仲間たち』収録/講談社刊/山室静訳/畑中麻紀翻訳編集)をどうぞ!
ムーミンシリーズ唯一の短編集である『ムーミン谷の仲間たち』は珠玉の名作ぞろいで、これまでにブログでご紹介したことのある「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」や「ぞっとする話」、「静かなのが好きなヘムレンさん」、「もみの木」のほか、ムーミンバレーパークのエンマの劇場で上演中のショー「勇気を知った少女~ムーミン谷の仲間たちより~」の原作「目に見えない子」、アニメ版や絵本でも人気でムーミンカフェの限定メニューにもなった「世界でいちばん最後の竜」など、素晴らしい作品がたくさん。そのなかで、このお話は知名度が高いほうではないかもしれないけれど、とても味わい深い佳作と言えるでしょう。
今回はスナフキンが語るおばさんの逸話の部分をピックアップしましたが、話の腰を折るように先回りしてブツブツと辛口ツッコミを入れるスニフの愛らしさ、呆れて「おまえはばかだよ」と言いつつもスニフのために話を続けるスナフキンとの掛け合いのおもしろさにも要注目。スニフって気が弱くて、がめつくて、すぐ「げろはいちゃう」って騒ぐ(そして本当に吐く)し……なんて思っている方にこそ知ってもらいたい、スニフの素直さ、優しさがしみじみと伝わる一篇です。
また、このコロナ禍に読み返してみると、日々を悔いなく生きること(といっても今は、後悔をしないために我慢我慢の日々ですが。アマゾン川に出かけることもできませんしね)、もしも残された時間に限りがあるとしたらどうするか、周囲のために何ができるのか、手放すべきものと失ってはいけない本当に大切なものは?など、さまざまな思いが浮かんできます。自分にとってのセドリックとは?とか、おばさんの立場、スニフの気持ちになって考えてみる、というような楽しみ方もできるでしょう。受け取り方は人それぞれ、そういう難しいこと抜きにしても、温かな気持ちになれるお話ですから、ぜひ、より原文に忠実に伝わりやすくなった新版を読んでみてください。
ちなみに、ムーミン・コミックスには、お医者さんがしっぽの毛が薄くなったムーミンのレントゲンを撮る「黄金のしっぽ」(第1巻)や、ムーミン谷にやってきた精神科医が騒動を巻き起こす「イチジク茂みのへっぽこ博士」(第5巻『ムーミン谷のクリスマス』収録)などのエピソードがあります。
コミックスといえば、ムーミンコミックス展を開催するはずだった茨城県近代美術館は、緊急事態宣言を受けて2月7日(日)まで臨時休館中。9日(火)から再開し、3月14日(日)までの開催予定ではありますが、状況に応じて変動するかもしれませんので、お出かけの際は事前にご確認を。
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萩原まみ