ムーミンの物語に込めたトーベの想い
ブログ「ムーミン春夏秋冬」をご覧いただき、ありがとうございます。このページは、昭和アニメ『ムーミン』を再放送で見て、小学生の頃から原作小説を愛読、ムーミングッズコレクターでもあるフリーライターの萩原まみが担当しております。
いつもはできるだけ私情や予断をはさまず、ムーミンの魅力を読者の皆さま自身で感じ取っていただくお手伝いができるよう、旬なテーマを切り口に原作や関連情報を掘り下げてお伝えしていますが、今回は少しだけ、個人的な気持ちも込めて綴らせてください。
ムーミン小説の第1作『小さなトロールと大きな洪水』は、1945年、第二次世界大戦終戦の年に出版されました。
作者のトーベ・ヤンソンは1914年、フィンランドの首都ヘルシンキ生まれ。父ヴィクトルはスウェーデン語系フィンランド人、母シグネはスウェーデン人で、トーベの母語もスウェーデン語です。ですから、トーベはムーミンの小説や絵本をスウェーデン語で書きました。
スウェーデン語もフィンランドの公用語ではありますが、フィンランドにおけるスウェーデン語系人口は当時で国民全体の10%未満、現在は約5%だと言われています。トーベはふだん暮らしている街や学校で耳にする言葉のほとんどが自分の言語とは異なるという言語的少数者でした。
フィンランドはかつてスウェーデン王国に属し、1809年にロシア帝国に割譲。スウェーデン語使用者は少数ではあるものの、行政や高等教育はスウェーデン語で行なわれていた時期があります。フィンランドが完全に独立を果たしたのは約100年前、1917年のことです。
トーベの絵が初めて雑誌に掲載されたのは、1928年、まだ14歳のとき。家計を助けるために雑誌の表紙や挿絵、ポストカードのイラストを手がけつつ、ストックホルムで商業デザインを、ヘルシンキで絵画を学びました。
1930年代のフィンランド語とスウェーデン語を巡る言語闘争に、学生だったトーベも巻き込まれてしまいます。当時、トーベは校内の言語論争に関して、こんな言葉を書き記しました。
「お互いを理解しようとすること。何をおいても、私たちは仲間なんだ」(『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』講談社刊/ボエル・ウェスティン著/畑中麻紀、森下圭子共訳より引用)
また、当時、学内では男女の性差がはっきりしており、トーベの絵が絵画コースで一等を獲得したにもかかわらず、真ん中ではなく男子学生の下に展示されるなど、理不尽な思いも味わいました。
絵画コースの女子生徒はどんどん辞めて減っていき、杓子定規な学校生活に息苦しさを覚えたトーベも、最終的に自主退学を選びます。
トーベはムーミンの物語を、主義主張のために書いたわけではありません。
常々、「読者は物語を自由に解釈してほしい」「キャラクターグッズにはそれぞれが工夫して楽しめる余地を残してほしい」と語っていたと伝えられ、わたし自身もそのことをいつも念頭に置いています。
そんなトーベが残してくれた絵と物語から、アニメ作品や映画、テーマパーク、たくさんのキャラクターグッズなどが生まれました。
つい最近も、新しいプロダクトレーベルがふたつ誕生したことをご存知でしょうか。
ひとつは、小説『ムーミン谷の彗星』の絵をもとに、「自然との共生、冒険、勇気」をテーマにした「MOOMIN OUTDOORS」。
もうひとつは、個性的な小さい生きものたちにスポットライトをあてた「The little ones」です。
ムーミンの物語には、ムーミントロール、ちびのミイ、スナフキンといったメインキャラクターだけでなく、さまざまな個性を持った生きものたちがたくさん登場します。
この「The little ones」に起用されているキャラクターの2組も、名前どころか、種族すらはっきりしません。
彼らは体が小さすぎて隅っこに隠れてしまいがちだったり、うまく周囲になじめなかったり、生きづらさを感じて縮こまっていたり、姿も性格も抱える事情もそれぞれです。
「The little ones」には登場していませんが、例えば、『ムーミン谷の冬』で、トゥーティッキ(おしゃまさん)と水あび小屋に住んでいる8匹のとんがりねずみは、とても恥ずかしがりやで、自分の姿を見えなくしてしまいました(挿絵で、宙に浮かんだスプーンとお皿を持っているのがとんがりねずみたちです)。
「目に見えない子」(短篇集『ムーミン谷の仲間たち』収録)のニンニはおばさんからひどい仕打ちを受け、体が透明になってしまいました。彼女はムーミンやしきに滞在し、ムーミンママから優しくされたり、ムーミントロールやちびのミイと遊んだりするなかで、次第に自分の感情と姿を取り戻していきます。
この短篇集の邦題は『ムーミン谷の仲間たち』ですが、原書タイトルは「目に見えない子」。そのことからも、この作品に込めた想いの強さが伝わってきます。
トーベは1966年のノートに「あの、目に見えない子のように、私は怒ること、そしてその怒りをあらわにすることを身につけるべきだった」と記しています(『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』より引用)
『ムーミン谷の仲間たち』はまさに、さまざまなThe little ones=小さなものたちのエピソードを集めた作品集。スニフの愛らしさが光る「スニフとセドリックのこと」やホムサが主人公の「ぞっとする話」など、珠玉の名作ぞろいです。
ムーミンバレーパークのアトラクションにもなっている「静かなのが好きなヘムレンさん」のヘムレンさんは陽気で騒々しい親戚たちに馴染めない人物ですし、「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」のフィリフヨンカは自分自身に不満と不安を抱き、隣人のガフサとうまくコミュニケートできずにいます。
「ニョロニョロのひみつ」のニョロニョロたちは「ふてぶてしくて、少しおくびょうで、はっきりと世間に背中を向けている生きもの。それは半分危険な、とても変わった、流れものたちでした」(『ムーミン谷の仲間たち』山室静訳/畑中麻紀翻訳編集より引用)と表現されています。
「もみの木」で正体不明のクリスマスさん来訪に怯える小さなムーミン一家は、もっと小さなクニットからクリスマスについて教えてもらいました。飾りつけたツリーやごちそうをうっとりと眺めるクニットたちを見て、ムーミン一家はそれをクリスマスさんではなくクニットたちにあげることにします。思いがけない贈り物に、クニットたちは大喜び!
ムーミンたちは、憐れみや施しの気持ちだけで小さなものたちに手を差し伸べているわけではありません。また、自分と異なる個性、考えを持ったものたちと関わることによって、ムーミンたち自身も変化していきます。
一例を挙げれば、「春のしらべ」のスナフキンとティーティ・ウー。
出会ったときは「ぱさついた毛の下からのぞく、二つのおずおずとした目。まるで、ずっとないがしろにされてきた人の目つきのようでした」(『ムーミン谷の仲間たち』山室静訳/畑中麻紀翻訳編集より引用)と表現されている一匹のはい虫。一方的にスナフキンに崇拝の目を向けていたものの、名前を与えられるやいなや、その関係は一変します。
小さなものたちの代表のようなはい虫について、もう少し詳しく触れておきましょう。
日本語で「はい虫」と訳された種族には2グループあって、ひとつは「クリュープ」。ティーティ・ウーに代表される、小動物のようなものたちです。
もうひとつは「クニット」。小柄だけれど、ヒトに近い姿をしています。
その名がタイトルになっている絵本『さびしがりやのクニット』(原題『誰がクニットをなぐさめる?』)も、小さなものたちを描いた作品です。
この作品が誕生した背景には、Knyttet(クニット)というサインの入った手紙の存在があったそうです。勇気を持てない苦しみ、孤独を綴った手紙が、トーベのもとにはたくさん届きました。そんな読者のために、トーベはこの絵本を書いたのです。ひとりぼっちで怯えていたクニットが勇気をふりしぼって旅に出て、自分より小さなスクルットと出会い、彼女を救おうとするうちに恐怖を克服し、幸せになる……。そんな要約では伝えきれない魅力がトーベの絵にはありますし、解釈は人それぞれですから、ぜひ実際に読んでみてくださいね。
当初の構想ではクニットは男の子ではなく、女性でした。トーベはクニットに想いを託したのか、それともスクルットに自分を重ねたのか。読者にしても共感するキャラクターがクニットのこともあればスクルットのこともあり、また、同時に両方ということもありうるのではないでしょうか。
トーベはこの絵本を、後半生を共にしたパートナーのトゥーリッキ・ピエティラに捧げています。
彼女はトゥーティッキ(おしゃまさん)のモデルとなった人物。『ムーミン谷の冬』で、初めての冬に戸惑うムーミントロールに対して、お節介を焼きすぎることなく、温かく見守って、成長をうながします。
主人公のムーミントロールも、いつも誰かを助ける側ではなく、ときには助けられる側として描かれているのです。
10月1日に日本公開される映画『TOVE/トーベ』でも描写されているように、トーベには性的少数者という側面もありました。 「The little ones」に起用されているトフスランとビフスランは、トーベと初めての女性の恋人ヴィヴィカ・バンドレルが投影されたキャラクターです。
これはわたしの個人的な考えですが、多数(マジョリティ)/少数(マイノリティ)、強者/弱者という区分は不変ではなく、誰しも、違う側になる可能性があるはず。
男性のアトス・ヴィルタネンと交際していたトーベは突然、女性のヴィヴィカと恋に落ちました。ちょうど今、パラリンピック開催中ですが、病気や怪我で人生が激変することは誰にだってありえます。
自分が今とは逆の側にいると想像すれば、異なる属性を否定したり、見下したり、断罪したりなんて、とてもできない。誰かを思いやり、手を差し伸べることは、自分自身のためでもある--。それは、わたしがムーミンの物語から教わったたくさんの事柄のなかのひとつです。トーベは2001年に86歳でこの世を去りました。ですから、もう、トーベに質問を投げかけることはできません。わたしたちひとりひとりがトーベの作品と向き合い、答えを探していくしかないのです。
そして、その答えは人によって違うかもしれませんし、同時にいろいろ見つかることもあれば、ときに変化もするでしょう。
「ものごとって、みんなとてもあいまいなのよ。まさに、そのことが、わたしを安心させるんだけれどもね」(『ムーミン谷の冬』講談社刊/山室静訳/畑中麻紀翻訳編集より引用)、トゥーティッキの言葉に今日も深く頷いています。
萩原まみ(文と写真)