(65)もしも…

こんな極端なフィンランドの気候の中で子供時代を過ごしたらどうなんだろうかと思うことがある。夏はいつまでたっても陽が沈まなくて、逆に冬は学校に行くときも下校時も闇の中を歩くのだ。友達や近所の子供たちと一緒にいながら時おりそんなことに思いを巡らせる。森に囲まれて暮らす友人の子が5歳のとき、彼はおしっこがしたいと思えばそこいらでズボンをおろして用を足していた。森だからそれでいいのだ。特にフィンランドでは(大人でさえ長距離バスで尿意を催すと、男性たちは運転手さんに言ってバスを停めてもらい、森の中に入って用を足すのだ)。彼は父親の故郷のロンドンに家族旅行したとき、あまりの違いに到着したその日から家に帰りたいと泣き出した。

大人になると11月の鬱々は予想できるのに、何か対策できるでもなく、やってきたらやってきたで「はぁ、やっぱり」と思う。毎年繰り返されるというのに決まってウンザリし、どんよりする。慣れることはない。さらに歳を重ねていくと、いつか冬すら近しいものになるらしい。そして子供のときは…そういえば鬱々とした感覚って実はなかったよね、と口を揃えてみんなが答える。それが自分にとっての唯一の冬だから、冬ってそういうものだから、そしてきっと冬の楽しさを子供のときは無邪気に見つけては楽しんでいたのだと思うと友人の一人が答えてくれた。彼女がフィンランドの冬にうんざりし始めたのは、世界にはそんな冬ばかりでなく、燦燦と降り注ぐ太陽の光やら暖かいそよ風が吹く冬があちこちにあるのだと知った頃だという。そういえば、フィンランドの人は世界を旅するのが大好きだ。

ムーミンは基本的には冬眠するけれど、それでも冬に目が覚めたムーミンたちの話もある。そこで繰り広げられている冬に生きる人たちの様子は生き生きとしていて、中にはトーベが無邪気に遊んだ子供の頃の冬の暮らしも、しっかり垣間見られるような気がするのだ。

いろんな「もしも」を想像するのが楽しい。つい先日知り合ったガラス工芸作家の女性が、こんな話をしてくれた。「私ね、よく親友と一緒に彼女のおばさんの家で遊んだのよ。アトリエの中を走りまわってね」。それはトーベ・ヤンソンのアトリエハウスだった。自分の遊び場がそんなところってどんな感じなんだろう。彼女もまた、自分の暮らしには森と海が欠かせないという。そうそう、水道も電気もない暮らし、小さな島で嵐がきたら水が手に入らないかもしれない暮らし、それらが楽しくてたまんないと子供の頃からそんな風に生きている人生。

フィンランドのあちこちを歩き行き交う人たちを眺めながら、「もしも」の世界にひたって遊んでみると、またムーミンが違った形であらわれてくる。今まで目にもとまらなかった言葉にはっとしたり。最近はフィンランドの地方に行くことがあれば必ずムーミンを持っていく。

森下圭子

外にいる時間も長くなり、日差しの強さも実感するこのごろ。大人はそれほどですが、子供たちへの日焼け対策は念入りに。

ムーミンお誕生会、ムーミンピクニック、ムーミンは子供たちのテーマ遊びにも大人気。そんな時に便利な品々。