(62)ムーミンの転機(後編)
(前回からの続きです)ただ、このムーミンの転機は大きなことです。自然なことでもあるのですけどね。人が歳をとるように、ムーミンも成長した、そういうことなのです。人がもっともっとと期待しているからといって、無理にムーミンを続けることは、私には不誠実なことに思えます。ムーミンは成長し、そしてムーミンのシリーズが終了したのです。コミックとか児童文学というのは、対象になる人の幅がとてもひろいんです。だからとても難しい。自分に正直であること、誠実に生きること。
成功することと知名度が高いことは意味が違います。成功というのは自分の創造が前進し、それを人が注目し評価してできるもの。人の評価は、芸術家の成長をときに助けてくれもします。一方、知名度の高さは自分の名前がどれだけ紙面を飾るか、人の記憶に残るかで決まります。これは成功とは違います。そしてどちらも危険です。
人は憧れると、所有したいと願うようです。憧れられたときに歳をとっていると、ちょっとやっかいな問題になってしまいます。残された時間が少ないのですから。そっとしておくことが年老いた人を憧れる中にあって欲しいです。さて、成功における危険とは、それが決して本人を満足させないことです人の期待に沿いたい、もっと成功しなくてはと自分の現状に満足できずに前に進み続けようとする。気づけば歳をとっていて…残された時間は少ないのですから。
(以上フィンランド放送2003年11月11日の番組について残したメモより)
ムーミンは自分の足で歩いていく。いつしかトーベ・ヤンソンはそれを楽しむようになっていたのではと思う。トゥーリッキはそれを身をもって感じさせてくれた一人だったと思う。彼女の作ったジオラマを見れば、(トーベの手を離れた)ムーミンも作ってるトゥーリッキも幸せそうなのがありありと伺えるから。コミックが好きな人、アニメがいいよという人、グッズで楽しく遊んでくれる人たち、そして原作に何度も何度も戻ってきてくれる読者たち。純粋にムーミンを楽しむと、ムーミンはさらに成長する。ムーミンがムーミンらしく生きるのに大切なのは分析や理解でなく、愛だなあと改めて思う。自分らしいグッズの使いかた、作品との接し方、自分なりのムーミンの楽しみかた。部屋を掃除していたらムーミンのスーパーボールがでてきた。なんか、すごく試されている気がするけれど、ここは思い切り遊ぼうか。
森下圭子
すでに紹介したことがあるけど、敢えてもう一度。トーベ・ヤンソンが自ら手がけたすごろく。遊ぶ人たちの思いつきや工夫で、どんどん世界が広がる…それはトーベがムーミングッズに望んでいたことでもある。
ヘルシンキにあるムーミンショップ。初めて会う人同士でも、ムーミンが大好きということで和気藹々とおしゃべりが始まることも多い。新しいムーミンの発見や楽しみ方を共有したり学んだり。