(52)森を歩くということ

気持ちがひとつところに傾きかけると森へ行く。フィンランドの人と話しているとそんなことを感じる。いつの間にか私もそんなだ。森に癒される?...うん、それもある。でも「私」を取り戻したい、そういうことじゃないかなと思う。きっとそうだ。

森に一歩入ったら、何を見つけるのも「私」だ。通りがかりの人たちが目にとめない水たまりで、自分の足がとまる。水たまりに映る木漏れ日や空の色、見上げるばかりだった木々をうつむいて眺める新鮮さ。ふと振り返るとさっき通り過ぎた人が、茂みのほうに目をやっている。リスでも見つけたのだろうか。誰かが見所を教えてくれるわけでもない、誰かが意図的に何かを目立つよう演出するわけでもない。そんな中で「私」が目にするもの、そこから広がる世界、もっと知りたいと思う好奇心。ムーミン谷の住人とフィンランドの人たちは似ている、と答えるときの理由のひとつがこれだ。ムーミントロールが成長し自立していくまでのシリーズの中で一貫しているのも、これじゃないかと思う。

ときに不安に駆られて周りの流れに一緒に走って行きそうになるかもしれない。でも走る前に足をとめて、自分の目で見えるものを見て、そして歩き出すムーミン。

フィンランドの人たちも東日本大震災に心を痛め、お見舞いの言葉や励ましの言葉をいただきます。ニュースだけという限られた情報の中で、やがて薬局からヨード剤が売り切れ続出という事態が起きた事実も一方ではある。でも少しずつ「私」にできること、私ができること、そんなことを話し合う人たちが増えてきている。

トーベ・ヤンソンがムーミン谷の十一月を執筆するため初めて過ごしたペッリンゲでの冬。毎日森の中を歩いていたという。ムーミン谷の森の中で、一人ひとりが個性を見出していくストーリーのためだけでなく、トーベ自身が苦手な冬の中でいろんなことを見出していく大切な時間だったんだろうなと思う。

森下圭子

 

ムーミンはデザインも優れているとよく言われる。服も家具も小物たちも。トーベがデザインしているものと実在するものが見事にバランスよく使われている。今回は実在する小道具をご紹介。