(193)気軽でなくなったトーベのこと【フィンランドムーミン便り】

島の人たちは岩が連なるこの島を「ニョロニョロの島」と呼ぶ

私が初めてクルーヴハル島を訪ねた26年前の夏。トーベ・ヤンソンはすでに島を引き払った後で、当時はトーベとパートナーが小屋を寄贈した先の関係者と関係者の親戚が夏のあいだ暮らしていた。そこに暮らしていた人たちが誰だったかが最近分かり、26年ぶりに連絡を取ることができた。それからというもの、当時のことを次々と思い出している。あのとき私はトーベ・ヤンソンの二人の弟さんたちからトーベの話をたくさん聞き、トーベが建てたクルーヴハルやブレッドシャールの島の小屋だけでなく、ヤンソン一家にとって思い入れのある群島ペッリンゲの島々にボートで立ち寄った。

当時のメディアはトーベの島といったらクルーヴハルだけを紹介し、作業机を当たり前のようにトーベが執筆していた机として紹介した。弟たちはクルーヴハルで紹介されていない隠し通路や場所を案内してくれ、トーベが執筆していたのは食卓のほうだったよと教えてくれた。また主にムーミンを執筆したのはクルーヴハル以前の島ブレッドシャールだったことも話してくれ、口を揃えてトーベが有名になって良かったことなど何一つなかったと語った。あのとき立ち寄った小さな島や表面のつるんとした島など、当時は名前を覚えることもなかった島々の個性を思い出し、クルーヴハルなどの分かりやすい場所よりも、メディアに報じられていないところにトーベの挿絵を彷彿とさせるものを見つけていることに気づいた。ペッリンゲの人たちは知っている島、森、人、そんなところにトーベの文学のくすっと笑えるところや身につまされること、励まされること、美しいことを見るような気がした。

トーベとの思い出のある人たちは、トーベが有名になればなるほど気軽に思い出を語ることはなくなった。そして彼らは秘密を明かすように、こっそりと話しかけてきた。こっそり家に呼んでくれ、トーベからプレゼントされたものをこっそり見せてくれる。

ムーミンがきっかけで、ムーミンの研究をしている私が、トーベの足跡を探すあまりにトーベの視線が見えにくくなることがある。クルーヴハルの小屋でもそうだ。気が付くと、細かいこと、何でもいいからたくさんのことを目撃し記録し、記憶しようと思ってしまう。でもこっそりトーベのことを語ってくれる人との時間で印象的なのは、トーベのことよりも、こういう人たちの様子だったりする。

分かりやすいことよりも、その周辺のものを丁寧に見ていたら、きっとあなたは本質に近づける。26年前の夏、私はそんなことをトーベの弟ふたりから教えてもらったような気がする。この夏もまた、私は一人のおじさんから祖父がトーベからプレゼントされた作品のことを教えてもらった。でも私は彼がその作品をあくまでも自分の日常にしておきたいことを知っている。これがトーベの作品云々と私が騒いだら、今は彼の部屋の片隅にある当たり前の顔をしたトーベの作品は、一気にそうではなくなるのだ。

その日、シカゴからやって来ていたアメリカ人の一家に出会った。彼らは自分たちの先祖のことを知りたくてやって来たのだと話してくれた。やっとたどり着いた自分の先祖の故郷のその先に、ペッリンゲの群島はあった。彼らに『少女ソフィアの夏』の話をしたら、それはまさに私の好きなタイプの本だと一人が言った。この島の風や森や自然、人の感じ、それらを思い出すのに最適の一冊だと思う。

本を介してトーベの話をするのは、なんて楽しいことだろう。その時は気軽でいられる。

ペッリンゲにあるもみの木湾傍の砂浜。ムーミン谷の地図に同名の場所がある。

森下圭子