(200)思春期とムーミン谷【フィンランドムーミン便り】

横断幕には自分たちのことや主張が描かれている

フィンランドの人たちに余暇の過ごし方を聞くと、日常的に自然の中にいる人が多いなと思う。そんな彼らでも、思春期は自然に触れる機会が少なかったと答える。同時に街では思春期かなと思われる子たちがムーミンのトートバッグを肩から下げているのを見かける。自然と共に生きるムーミンの世界が身につけるほどのものだとしたら、なんだかんだ言って、やっぱり自然は近い存在なのかもしれない。

2月の終わり。フィンランドでは高校の卒業資格試験を控えた最終学年の生徒たちが最後の登校日にトラックの荷台に乗り、決まったコースを巡る行事がある。町の人たちは町の人たちで、彼らを祝うように沿道に集まり、そんな人たちに向かって荷台の生徒たちはお菓子をばらまく。みんな思い思いの仮装をし、荷台の側面には自分たちのことや主張を描いた横断幕がかかっている。

私はこの行事が大好きで、首都なのに、小さな町のお祭りのように皆で高校生たちを祝福していることも、普段はそっけない年頃の子たちが見知らぬ人たちにも笑顔で手を振りお菓子をまいている様子も微笑ましくて、できる限り見に行っている。そして何十台も続く高校生たちのトラックの中から、ムーミンの誰かになりきる生徒の姿やムーミンが描かれた横断幕を確認して、心の中で「やった!」と喜んでいる。

人々の、森との関わり方はいろいろ。怒りを吐き出す場所になることもあれば、元気のない時には力をもらう場所でもある。ムーミンを読んでいても、森は刻々と表情を変えるし、ムーミン谷の仲間たちはさまざまな理由で森の中を行く。今のこの風景をこんな風に感じこんな風に見ているのは他の誰でもなく、自分なのだ。否が応でも自分と直面するというか。思春期のときに、そんな場所から少し距離を取る気持ちも分かるような気がするし、一方で、ムーミンのような物語が身近なところにあるのはいいなとも思う。

ムーミンといえば森のほかに海がある。人口が550万の小国だからか、海は大きな世界に繋がっていると言う人が多い。海の向こうには無限の世界が、可能性があると彼らの話は続く。バルト海がかなり穏やかということもあるからか、海があまり脅威の対象になっていないのも理由だろうか。海を眺め、その海の向こうに無限の可能性を感じられたら。思春期でもムーミンが、海の存在が心の中にあったら。実際に海に行くことはなくとも、海の向こうの無限の可能性、ひいては希望がぽっと宿ってくれるのかもしれない。

荷台から手をふる高校生たちの中に、今年もスナフキンを見かけた。リトルミイもいる。このあたりは毎年見かけるのだけれど、今年はさらにニョロニョロがいた。沿道から手を振っている人たちにも「ニョロニョロだ!」と人気だった。ニョロニョロには感情がないというけれど、私たちに手を振ってくれている彼らは何ともかわいらしかった。感情がない生きものに扮し、自分の姿を晒さずにかわいらしく手をふる。意外と思春期にはうってつけの扮装かもしれない。

 
顔を出したくない人にも良さげなニョロニョロの仮装

森下圭子