
(212)夏の準備【フィンランドムーミン便り】
群島ペッリンゲでは、あちこちでムーミンの挿絵を思わせる風景に遭遇する
「トーベとパートナーのトゥーティは、クルーヴハル島での夏暮らしの準備を1月からしていた」と話してくれたのは、二人の島暮らしの8ミリ映像を編集して一本の映画にした監督だったか、それとも群島ペッリンゲで家族同様の付き合いだったグスタフション家の人だったか。二人が島へ行くのは、基本的には海の氷が溶けてから。何ヶ月もの時間をかけるのは、ひょっとして夏の日々を想像しながら小さな箱をいくつも用意し、荷造りしていくのが楽しかったのだろうか。今なら荷造りを始めて間もなく、つまり暦の上ではまだ冬のうちから島暮らしが始められたかもしれない。
今年2月にペッリンゲに滞在したのは、一番寒い時期の群島を体験したかったから。ところが雪はほとんどなく、スニーカーで森の中が歩けるほど。海も水際に薄い氷がぷかぷか浮いているだけで、残念ながら凍った海の上を歩くとかスケートすることは叶わなかった。それでも冬は気まぐれに、ある日とつぜん極寒を連れてくる。だからボートは(凍った海に破壊されないように)陸に上げられていたし、畑も農園も森も主人のいないサマーハウスも、どこもかしこも静かで、群島はよそよそしいというか、私のことなど無関心といった感じだった。冷たい風は、私に囁きかけることもなく吹き去っていくだけ。夜中の間にうっすら積もった雪にオオヤマネコの足跡を見つけるも、オオヤマネコの気配はどこにもない。宿の前に暮らす白鳥も、こちらは自分たちで勝手にやってますんでお構いなく、といった風情でそこにいる。
4月。朝晩が零下にならなくなると、あちこちの船着場にボートが戻ってくる。サマーハウスでは埃を被らないようにと調度品やランプシェードにかけてあった布が外され、庭に残る落ち葉を掻く人たち、嵐で倒れた木を薪にするチェーンソーの音がどこからか聞こえてきたりもする。夏の住人たちが週末になると戻ってくる。夏の準備が始まった。
今年はどんな花で庭を飾ろうか、どんな野菜やハーブを育てようか。ペッリンゲには大きな温室でトマトやラズベリーやハーブ、玄関先やテラスに飾るのに良さそうな花や植木を育てているアンネマイがいる。彼女は今年の冬、ペッリンゲで島から島へ、スケートを履いて凍った海を滑っていくトレッキングができなかったからと、湖が厚い氷で覆われている北の町にまで行ったそう。冬やるべきことをしっかり終えて春を迎えたアンネマイは、これから忙しくなる夏のための準備を嬉しそうにこなしている。
やっぱり冬がきちんとあってこその、夏を迎える楽しさなのかもしれない。冬の暗くて寒い時に、夏のことを考えながら少しずつ時間をかけて荷造りしていたトーベとトゥーティのことを改めて思い浮かべた。
夏の島暮らしに欠かせなかったボート。トーベのボートは現在、海洋博物館に展示されている。
森下圭子