
(216)ムーミンを通して垣間見たフィンランドの教育【フィンランドムーミン便り】
トーベ・ヤンソンがストックマンデパートにデザインした絵で作られたシール。
ストックマンデパートでやっているクイズラリーに挑戦してみた。1階の案内所で専用の用紙を手に入れる。そこには「デパート内に設置されたムーミンのキャラクター8つを見つけ、それぞれのキャラクターのところにある質問全てに答えたら、6階の子ども用品売り場のレジに提出しよう!」と書かれていた。これはきっと記念品かなにかがあるはず。とはいえ、時間がかかりそうだ。私は日を改めてデパートへ行き、全問正解する気満々でムーミンたちを探した。
幸いにも何階にどのキャラクターがいるのか用紙に案内がある。とはいえ、ほぼ全館を巡るような感じだし、普段足を踏み入れることのない紳士用品の階などは、どこを歩いているか途中でわからなくなることもあって、きっと私は隅から隅まで歩くだけでなく、同じところを行き来したこともあったと思う。
さて、質問の内容は私が想像していたものとは違っていた。8問とも正解を出す質問ではなかったのだ。たとえばこう。スニフはこんなものを見つけましたが(見つけたものが絵と字で3つ並んでいる)、この中であなたが見つけたいものは?とある。そして自分が見つけたいものを字でなく絵で答える。ムーミンママのハンドバッグ、ムーミンパパがやったこと、ムーミントロールが好きなものなどなど、とにかく「あなたなら、この中で何がいい?」と尋ねられるのだ。
答える私は、「私はどうなのか」をひたすら考え、そして絵を描いた。ムーミンの物語に登場するいくつもの出来事を通しながら、あなたにとっては?あなたなら?と問われ、私はムーミンを通して自分のことに気づく時間を辿って行った。しかも絵というところもいい。小さな子もムーミンの物語をあまり知らない人でも、このクイズラリーなら完走できる。
そしてこの感じは何ともフィンランドらしいと改めて思う。さらにいえば主体的にものを語るとか、一般論を語るのでなく「私ごと」を語ることが自然にできるフィンランドの人たちの姿勢はこういうところで育まれているのだろうなと思った。正解を答えるのでなく、自分にとってはと答える質問をやりながら、自分が何者かというのは大袈裟なことをする必要はなくて、日々の中の小さな質問に「自分は、自分なら」を考える時間を作るだけでいいのかもしれないと思った。日本の人たちは主体で語ることが苦手なのかとフィンランドの人たちに聞かれることがある。小さな頃から「自分は、自分なら」と問われてきたフィンランドの人たちと比べたら、やはり苦手なのかなと思う。相手の気持ち、他の人たちはどうか、みんなはどうするのか。私はそんな風に育ってきた。どっちがいい?ときかれたら「あなたはどう?私はどっちでもいいよ」と答えるのは今もよくある。正解のあることだけでなく、さまざまな場面で「自分はどうかな」を積み重ねてみることを意識してみようかな、と改めて思うクイズラリーだった。
トーベ・ヤンソンが夏を過ごした群島ペッリンゲ
森下圭子