(94)世界旅行の間のお留守番
「さあさあ、まずはコーヒーにしましょう」そう言って、気さくにキッチンに招き入れてくれ、お手製の「ぐるぐるパン」とコーヒーを用意してくれる。こんな素敵な人がトーベの近くにいたという、それだけで私は胸がいっぱいになりそうだ。
ぐるぐるパンというのは、フィンランドで「ボストンケーキ」と呼ばれているもの。トーベは夏の島暮らしで、好んでこれを買っていたという。そしていつだって「ぐるぐるパンちょうだい」と、自分で勝手につけた名で買い物していたそうだ。
40年以上も前のことを思い出すのは難しい。それでも断片的に、小さなエピソードをいくつも思い出してくれた。
旅に出るトーベが一番気がかりだったのは愛猫プシプシーナだった。トーベの提案で、ピルッコとプシプシーナは前もって試験的な二人暮らしもした。トーベはプシプシーナにあげる魚のこだわり調理法まで丁寧に教えてくれたそうだ。
お試し期間中、実はちょっとした事件があった。アトリエにある大きな木製の作業台でアイロンをかけた日のこと。アイロンを消し忘れたまま寝てしまい、咳で目が覚めると煙が充満していたという。自分の尊敬するトーベのアトリエでこんなことをやらかしてしまった。しかも、作業台にはくっきりと焦げた跡まで残っている。そんなピルッコにトーベはこう言った。「心配しなくていいの。これで、もう一回起きてくれたじゃない。だからもう大丈夫。」…まるでムーミンママのようだ、ピルッコはそう思った。
トーベのアトリエの留守番をする日々は、とにかく絵を描くのが楽しかったという。大きな絵を沢山描いた。それは小さなワンルーム暮らしではできないことだった。自然光がふりそそぐアトリエ。ところで試験的に暮らしていた時期、実はピルッコが絵を描いていると、トーベが時々絵を見にやってきたのだという。ほめられると嬉しくて、つい描きすぎてしまい、でもトーベはそれを気づかせてくれることも上手だったそうだ。
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森下圭子
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