ムーミントロールの見た冬―トーベ・ヤンソンが描いた冬の美しさ―【本国サイトのブログから】
冬の間、ムーミン谷は普段とはまったく違った様子になります。水あび小屋には得体の知れない生きものが住みつき、ムーミントロールは未知の世界を知ることになります。トーベ・ヤンソンは特に冬が好きだったわけではありませんが、寒い季節の自然もまた美しく描いています。今回は、「ムーミン」シリーズの冬の描写から、魅力的な言葉をご紹介しましょう。
ある灰色にくもった日のことです。ムーミン谷に、初雪がふりました。
雪はしんしんとふり積もり、やがて、なにもかもまっ白に染めていきました。ムーミントロールはドアのところに立って、谷間が白い冬の毛布でおおわれていくのをじっと見ていました。そして、静かに思いをめぐらせました。
(いよいよ今夜、ぼくたちは長い冬の眠りにつくんだぞ)
ムーミントロールたちは、十一月になると冬眠に入ります。寒さと暗さが好きでないものには、うまいやり方ではないでしょうか。
ドアを閉めて、ムーミントロールはママのところへかけよりました。
「雪がふってきたよ」
『たのしいムーミン一家』(トーベ・ヤンソン/作 山室静/訳 畑中麻紀/翻訳編集 講談社)より
ムーミンたちは、いつも冬の間冬眠していますが、「ムーミン」シリーズの中には、ムーミンたちが思いがけず目を覚まし、冬を経験するものがあります。短編集『もみの木』(『ムーミン谷の仲間たち』所収、1962年)では、クリスマスを知らないムーミン一家が、ムーミン谷のクリスマスの準備の騒ぎで目を覚まします。また、『ムーミン谷の冬』では、ムーミントロールがたった一人、冬眠中に目を覚まし、雪や冬の美しさを知っていくのです。
ムーミントロールの目に映った「冬」
ここでは、『ムーミン谷の冬』から、ムーミントロールの目に映った、雪の季節のムーミン谷の美しい描写をご紹介しましょう。
※以下引用はすべて『ムーミン谷の冬』(トーベ・ヤンソン/作 山室静/訳 畑中麻紀/翻訳編集 講談社)より
ひとひら、またひとひらと、あたたかい鼻の上につぎつぎと雪がのっかっては、とけていきます。ムーミントロールは、雪を手でつかまえて、ほんの少しの間、うっとりと見とれました。それから空を見上げて、数えきれないほどたくさん、羽毛よりも軽くてやわらかく、ふわりふわりと落ちてくる雪をながめていました。
(雪って、こういうふうにふってくるのか。ぼくは、下から生えてくるんだと思っていたけどなあ)
ムーミントロールは、そう思いました。
初め、ムーミントロールはこのふんわりとした白いものに少々懐疑的でしたが、時が経つにつれ、雪が好きになっていったのでした。
ふりしきる雪であたりはなにも見えませんでしたが、ムーミントロールはいつも夏の海に来たときに感じるのと同じ、あのうっとりした気持ちに引きこまれていきました。ガウンをぬぎすて、雪だまりにごろりんと身を投げだしました。
(これが冬か! これなら、冬だって好きになれるぞ)
ムーミントロールが海辺へ下りていき、夏の間の一家が水あび小屋に使っていた小屋に行くと、そこには見たことのない生きものが住みついていて、海全体も異様な雰囲気に変わっていました。
やがて、海辺まで下りてきました。海はただのっぺらぼうの、はてしない闇です。ふたりは水あび小屋へとつづく細くてせまい桟橋を、用心深くわたっていきました。
「ぼくはいつも、ここから水に入るんだ」
ムーミントロールはささやくような声でいって、氷の中からつき出している、黄色く折れた葦をながめました。
「ここの海は、とってもあったかいんだ。ぼくは九かきももぐっていけるんだぜ」
冬の海は、見た目だけでなく、音も夏とは異なりました。
風もとろとろと眠りかけています。海辺の氷の中からは、枯れた葦が身動きもせずにつっ立っています。
耳をすますと、ひっそりとした静けさの中に、とても低い声で歌うような音が聞こえてきました。たぶんそれは、海がだんだん下のほうまで凍っていく音色なのでしょう。
冬のムーミン谷の導き手―トゥーティッキ
気取らず、頼りになるトゥーティッキは、ムーミントロールのこの見慣れない白い世界への導き手となります。
「あのね、この世界には、夏や秋や春には居場所のないのが、いっぱいいるのよ」(中略)
「みんな少しはずかしがりやで、ちょっぴり変わりものなの。夜になると動きだすけものとか、どこへ行っても場ちがいに感じてしまったり、だれのことも信じられない人たちとかね。そういうものたちは一年中、どこかにこっそりとかくれているの。そうして、あたりがひっそりとしてなにもかもがまっ白になり、夜が長くなって、たいていのものが冬の眠りに落ちたときに、やっと出てくる、というわけ」
トゥーティッキのインスピレーションの源は、トーベ自身の人生にありました。彼女の生涯のパートナーであり、グラフィック・アーティストだったトゥーリッキ・ピエティラです。『ムーミン谷の冬』は、ムーミンが有名になり、新しくビジネスの世界を学ばなくてはならなくなったトーベの前に開かれた、見慣れない世界のメタファーなのだとトーベは述べています。
その旅路で、トゥーリッキはかけがえのない支えとなりました。トーベは、『ムーミン谷の冬』を執筆するとき、創作の危機の真っただ中にあったと語っています。もしトゥーリッキの助けがなかったら、それを乗り越えることはできなかったでしょう。
ムーミントロールとは異なり、トゥーティッキは冬の海を恐ろしいものとは思わず、むしろ安全で信頼できる友だちのように感じています。
時に凍りついた海は、氷の上での魚釣りのための絶好のポイントになるなど、気のきいた使い方だってできるのです。
トゥーティッキは氷の下で、魚つりをしていました。ときどき海の潮ってちょっと下がってくれるから、気がきいてるわ、と思いながら。
水あび小屋のそばにある氷の穴からもぐりこんだら、岩の上にすわって、つり糸をたれさえすればいいのです。頭の上には、すてきな緑色の氷の天井があるし、足の下は海ですからね。どこまでもつづく黒いゆかと緑の天井は、遠くのほうでくっついて、まっ暗になります。
まどろむ海と荒れ狂う嵐
トーベは、以下の氷の上を横切る冬の吹雪の描写にも見られるように、海をほとんど独自のキャラクターと思えるほど生き生きと描いています。
ムーミントロールは、遠くでゴロゴロいっている、すさまじい空もようをながめました。
まるで、お芝居の最後のはげしい場面の幕が上がったかのようでした。舞台の上は、水平線のかなたまで白くがらんとしていて、海辺はぐんぐん暗くなっていきます。ムーミントロールは吹雪にみまわれたことなどありませんでしたから、今にかみなりが鳴るのだと思いこんでいました。そこで、ゴロゴロッと来てもおびえないように、かくごを決めました。
けれども、かみなりは鳴りません。
稲光もありません。
そのかわりに、海岸の外れのまっ白な岩山から、ちょっとした雪のつむじ風が立ち上りました。
気味のわるい風が氷の上を吹きぬけては、また吹きもどり、海辺の森の中でざわめいています。暗く青い壁はますますそびえ立ち、吹きつける風がはげしくなってきました。
だしぬけに、まるで巨大なドアが風でバタンと開いたように、暗闇が大きな口を開けたかと思うと、なにもかもが横なぐりのしめった雪にべったりまみれました。
もはや、雪は上からふってくるのではありません。地面にそって飛んでくるのです。生きもののようにヒューヒューうなって、おしよせてきました。
海は氷の下で眠り、小さいはい虫たちはみんな、大地の奥深くに張った木の根のすきまで、春を夢見ながら寝ていました。
でも、春はまだまだ遠かったのです。なにしろ、やっと新年をすぎたばかりでしたから。
翻訳/内山さつき