
トーベ・ヤンソンがつくったミニチュアのムーミン屋敷――大人の楽しい遊びの時間【本国ブログのサイトから】
タンペレのムーミン美術館にあるミニチュアのムーミン屋敷(※)は、まさにすべての子どもたちの夢です。5階建てで高さ2.5 メートルの立体模型は、信じられないほど細かいところまで作り込まれていて、秘密の部屋まであるのです。この作品は、遊び心を忘れなかった3人の大人、トーベ・ヤンソン、トーベのパートナーのトゥーリッキ・ピエティラ、そして友人で医師のペンッティ・エイストラによって作られました。
今回は、この作品「ムーミン屋敷」の新しい写真をご紹介しましょう。もっと深く知りたい方は、こちらのドキュメンタリー(30分)もどうぞ。細かいところまで見られるので、フルスクリーンでの視聴がおすすめですよ!
この動画は、模型の中を探索し、秘密の場所や、驚くほど精巧に作られた細部まで紹介しています。また、このミニチュアが作られた感動的なエピソードも明らかにしていますよ。
案内してくれるのは、近年公開された映画「トーベ」でトーベ・ヤンソンを演じた俳優のアルマ・ポウスティです。ポウスティは、この動画の中で「ムーミンママが夜、眠りにつくための準備をしているムーミン屋敷を描いた」箇所の、トーベ・ヤンソンのエッセイを読んでいます。
ロマンティックな家が欲しかったトーベ
「新しい世代の建築家たちは、世界中で住宅デザインを再構築しています。彼らは衝動や憧れ、そして遊び心――気の向くままに装飾したり、スタイリングしたりしたいという、忘れられた欲求に突き動かされて、個性的で畏敬の念を起こさせるような家を建てているのです。
まさにこれは、ムーミントロールたちが試みてきたことです。このユニークなフィンランドの生きものたちの家をのぞいてみると、彼らの生活スタイルを垣間見ることができるでしょう。森と湖の国では、ビジネスライクな箱のような家で暮らすのはナンセンスです。ファンタジーの世界で生きるこのフィンランドの家族にとっては、なおさらそうですよね」
――トーベ・ヤンソン「ムーミン屋敷の紹介」(1979年にフィンランドの建築雑誌『Arkkitehti』に掲載されたエッセイ)より
トーベは角張った、合理的な箱のような家に住みたいとは思いませんでした。それで彼女は、友人たちとムーミン屋敷の模型を作り始めたとき、自分たちの遊び心が赴くままに任せたのでした。
人間は小さな箱で暮らすために作られたのではない
「人間は小さな箱、つまり機能的な巣箱のような家で暮らすために作られたのではないと提案する、若さと勇気を持っている人もいます。私たちは、非対称性が大切にされているナンセンスな家、憂鬱な気持ちになったりしない、遊び心のある建物に憧れるのです」
と、トーベは書いています。
このエッセイは、トゥーリッキ・ピエティラと、共通の友人だった医師のペンッティ・エイストラとともに、完成させたばかりの高さ2.5メートルの壮大なムーミン屋敷の模型を紹介するために書かれたものです。
Photo: Per Olov Jansson
トーベは、自分はこのプロジェクトのアシスタントにすぎないと考えていました。彼女は、「壁紙を貼ったり、居間の家具に赤いベルベットを張ったり、石造りの部分や煉瓦の部分を作ったり、何よりもサンドペーパーをかけたりするような、こまごまとしたこと」を担当していました。
ペンッティ・エイストラが作った最初のムーミンやしき
ムーミン美術館にあるこのムーミン屋敷が作られるよりずっと前、はじめてムーミンやしきの模型を作ったのは、医師のペンッティ・エイストラでした。彼はよくボトルシップや模型を作っていて、インフルエンザにかかったとき、『ムーミン谷の冬』を読みながらムーミンやしきの模型を作り始めたのでした。
テレビのインタビューで、ペンッティ・エイストラはトーベとの最初の出会いについて語っています。
「私はトーベ・ヤンソンに連絡して、こんな家に興味はありますかと尋ねたんです。彼女はイエスと答えました。それで私は自分が作った家をここに運んだんです」
これが、その後数十年にわたって続く美しい友情の始まりでした。ペンッティはすぐにトーベ、トゥーリッキ・ピエティラ、そしてトーベの母、シグネ・“ハム”・ハンマルステン・ヤンソンと親しくなりました。
遊びの夕べ
「彼らは毎週土曜日に集まっていました。トーベの母親と家政婦は、トーベとトゥーティ、特にトーベがちゃんと食事をしていないのではないかと少し心配していたようなのです。それで、土曜日の夜に食べものを持ってきて、みんなで集まっていたんですよ」
と、ムーミンキャラクターズの取締役会長でトーベ・ヤンソンの姪のソフィア・ヤンソンは語っています。
毎週土曜日に行われる集いは、じきに「遊びの夕べ」と呼ばれるようになりました。みんなが自分の趣味のプロジェクトに取り組み、自由に遊ぶ時間です。ペンッティとハムは素晴らしい温室を造り、すぐにトーベも参加したくなって、建物を囲む丸い石垣を作りました。
「彼らはとても楽しんでいました。それで、遊びの夕べは週に一晩だけではなくなったんです」子どもの頃、遊びの夕べに何度か招かれたことがあるソフィアは言います。
最初の模型は、アトリエを訪れる人々に大人気でした。
「ある日、トーベとトゥーティのところブラチスラバからお客さんがやって来て、このムーミンハウスを絶賛しました。ちょうどトーベたちは、数年後にブラチスラバで開催される『ブラチスラバ世界絵本原画展』で、子ども向けのコーナーを担当することになっていたので、彼女は『ブラチスラバ世界絵本原画展』のためにムーミンやしきの模型を作ってもらえないかと依頼したのです。もちろん、トーベとトゥーティは喜んでその申し出を受けました」
友だちと一緒に作ったムーミン屋敷
現在はムーミン美術館にあるこのムーミン屋敷は、3年かけ、数十人の人が関わって作られました。主な作り手は友人や家族でした。旅先から珍しい材料やミニチュアの品を持ってきてもらうように頼むことがちょくちょくあったのです。
「家具や皿、フォークやランプ、ラグ、マットレス、枕、カーテンなどなど、この家に必要なものが加えられていくたび、関わった人も少しずつ増えていきました」と、トゥーリッキ・ピエティラの姪である建築家のアンヌッカ・ピエティラは言います。
「最終的には、この過程で50人近くが参加したと思います。私の両親の建築事務所の人たちもね! 20人くらいの人がいて、みんなちょっとしたものを持っていきました。母はライ麦パンを焼いたんです」
アンヌッカは、ムーミン屋敷の台所の天井から下がっているミニチュアのパンについて語ってくれました。
ミシシッピの蒸気船のような優雅な装飾を戴くムーミン屋敷
トーベ、トゥーリッキ、ペンッティは海外を旅したときに、よくムーミン屋敷に使う資材や飾るものの材料を購入しました。3人はパリの蚤の市やストックホルムの旧市街の小さな店を見て回るのが大好きでした。
「ムーミン屋敷は、松、トウヒ、マホガニー、ローズウッド、ジャカランダで作られていて、特別な場所にはバルサ材やペアウッドが使われています。フィンランドの一般的な花崗岩や灰色の石に加えて、加工しやすく海岸で見つかる砂岩も使用されています。煙突はもちろんレンガです。高い煙突は、ミシシッピ河の蒸気船から誇らしげに立ち上る煙を記念して作ったものなのです」
と、トーベはエッセイで書いています。
ヨーロッパを旅したムーミン屋敷はムーミン美術館にたどり着きました
ムーミン屋敷の制作には3年かかりました。作り手たちは細かな計画は立てずに、探検するような気持ちと自由な遊びの感覚に導かれていったのでした。
制作の途中には、トーベが屋根に貼った6000枚以上の屋根板をすべて貼り直さなければならなくなるなど、いくつか不運な出来事もありました。3人は夏の間、ムーミン屋敷をアトリエの日が当たる場所に置いたままにしてしまい、夏が終わってアトリエに戻ってくると、太陽で温まった接着剤のせいで屋根が変色してしまっていたのでした。
「そう、言うまでもなく彼らは完璧主義者だったから、変色した屋根の板なんて許せません。もちろんすべてを取り外して、やり直さなければならなかったんですよ」
と、ソフィア・ヤンソンは面白がって語ります。
このようなちょっとした事件はありましたが、ムーミン屋敷はブラチスラバ世界絵本原画展に間に合うように無事完成し、そこで初めて展示されました。
その後、数年間北欧諸国を巡回しました。現在はフィンランドのタンペレにあるムーミン美術館に常設展示されています。
ムーミン屋敷はただの家ではありません
このムーミン屋敷は分割してコンパクトに梱包するため、輸送する際には床を分けられるようになっていました。勘のいい方は、このムーミン屋敷がトーベの本に出てくるムーミンやしきとは違って、おなじみの円柱の形ではないことに気付いているかもしれませんね。
「トーベたちは、そのことは気にしていなかったと思いますよ。ムーミンの世界のクリエイティヴな延長のようなものだと感じていたと思います。ムーミンやしきは壁よりずっと大きなものの象徴です。ムーミンの本の中では、ムーミンやしきの扉はいつも開いていて、それは誰だって歓迎されることを表しています。そこは、自分らしくいられて安心できる空間なのです」
とソフィアは語っています。
今からでも、遊びましょう
ソフィアは、「遊びの夕べ」は、トーベたちがただ楽しむためだけに始めたものだと指摘します。
「誰かから強制されたわけではないんですよ。彼らはいつも笑って、楽しい時間を過ごしていました。人生は、義務だけではないということを思い出させてくれますよね。遊びがあっていいんです。トーベたちは、人生の深淵、辛くて恐ろしいこととのバランスを取るためにそうしていたのだと思います。彼らが戦争を生き抜いた世代だったことを思い出さなければいけません。遊ぶことは、一種のセラピーでもあったのです」
ソフィアは、ムーミン屋敷の模型を「遊びの夕べ」のようなものが遂げた、素晴らしい進化の結果だと捉えています。
「トーベやトゥーティ、ペンッティが持っていた遊び心を、私たちみんなが持ち続けていられたらいいなと思います。それはもちろん、元々はトーベの母ハムが持っていたものです。ぜひ、ものを作り続けてください。自分の手でものを作るのはとても楽しいことです。もしまだやっていないのなら、ぜひやってみるべきですよ」
もし何か自分で作りたくなったら、ぜひオリジナルのムーミンやしきを作って、特設サイトへ投稿できる「ムーミン80周年」のオンラインイベント「マイ ムーミンハウス コンペティション」に参加してみませんか?
詳細と応募方法については、こちらをご覧ください。応募締め切りは、2025年4月28日です。
※引用は、雑誌「Arkkitehti」(1979年)に掲載されたトーベ・ヤンソンのエッセイ「ムーミン屋敷の紹介」より。スウェーデン語訳/Annie Prime
特に記載のない場合、写真の著作権は Linus Lindholm / Moomin Charactersに属します。
※ムーミン美術館では、「ムーミン屋敷」をアート作品の一つとして分類し、物語に登場する細長い円柱形の「ムーミンやしき」とは区別し、あえて「屋敷」を漢字表記しています。(くわしくはこちら)
翻訳/内山さつき