(212)トーベ・ヤンソンの旅と音楽【フィンランドムーミン便り】

冬のクルーヴハル

 

トーベ・ヤンソンがいかに多才だったか。画家、作家、コミックス作家と挙げていく中に「作詞家」がある。そしてつい先日、トーベ・ヤンソンと音楽を題材にした本も出版された。著者は俳優のエンマ・クリンゲンベリ。主にミュージカルで活躍する彼女は、トーベ・ヤンソンのアトリエでトーベと音楽を調べた人物でもある。まるで隠すように保管されていたファイルや、数年前まで発表が禁じられていた(トーベがその旨の注意書きを添えていた)歌詞なども見つけた。

さて、そんなエンマがトーベの歌詞を歌うという。しかも会場は「トーベ・ヤンソン パラダイス」展をやっているヘルシンキ美術館HAMだ。急な告知で開催は二回きり。トーベの絵に囲まれて絵描きの歌や秋のしらべを聴けるなんて、なんて贅沢だろう。急いでチケットを取った。

トーベ・ヤンソンはパートナーのトゥーリッキ・ピエティラと旅に出ると、滞在先で必ずやったことがあった。花を買うこと、ウイスキーを買うこと、そして音楽。花は滞在先の部屋に生け、ウイスキーを飲む。音楽は旅先の地の思い出になった。以前聞いたインタビューで「音楽は何でも聴きます」とトーベが答えていたことがあったけれど、案の定、旅の思い出として持ち帰るレコードやカセットテープのジャンルはまちまちだった。クラシックもあればシャンソンあり、ジミ・ヘンドリックスやジャズもあった。ハワイへ旅すれば自己流のフラダンスを踊ったし、スペインではフラメンコに感激した記録も残っている。

トーベは楽譜が読めなかったというけれど、でも彼女の文章にはリズムがあり音は心地よく、踊ることも大好きだった。よくよく考えてみれば、小さな頃から家は音楽で溢れていたというか。彫刻家の父が仲間たちと繰り広げるパーティーではピアノやギターが鳴り響き、父はバラライカを弾いた。ムーミンママのモデルとしても知られる母ハムは小さなトーベの枕元で歌を口ずさんだ。

エンマのコンサートでは「トーベのしらべ」という歌が披露された。それはハムが作詞をして、ヤンソン一家の歌集にあったもので、ハムがタイトルに添えた絵は、夜空に瞬く満天の星だった。手書きの歌詞の周りにはいくつもの星とハートが装飾的に描かれている。

トーベが手がけた歌詞はコミカルなものもあれば、心が躍るもの、気持ちがこみあげて涙を流してしまう歌もある。一緒に笑い、一緒に身を乗り出し、そして一緒に涙を流す。どの歌も心を強く動かされるからか、いつしか観客のなかで一体感が生まれていた。静かに歌を聴きながらも、笑いや涙を共有する私たちは、言葉を交わしていなくても分かり合えているような心地がしたのだ。

コンサートが終わると美術館は閉まる。トーベの絵をじっくり鑑賞する時間はなく、それでも歌の余韻を楽しみたくて歩いて帰った。踊り出したくなるような音楽を次々と聴いて、時々ステップを踏んで家に帰った。

 

ヘルシンキ美術館HAMでのコンサートで配布されたプログラム

 

森下圭子