
(217)埃をかぶった箱の中から【フィンランドムーミン便り】
トーベ・ヤンソンによる壁紙のスケッチ
日本各地でも催しがあった8月9日のムーミンの日。フィンランドでは新聞やテレビニュースにも取り上げられることが起きた。トーベ・ヤンソンが1959年に手がけた壁紙のデザインスケッチが埃をかぶった箱の中から出てきたというのだ。壁紙の老舗サンドゥッド社は、そのスケッチを自分たちの手でムーミン美術館に運び、8月9日のトーベ・ヤンソンの日(フィンランドでは「トーベ・ヤンソンとフィンランド芸術の日」と名づけられている)を多くのムーミンファンたちとお祝いした。
実はこの発見は3月にまで遡る。見つけたその時に大きく発表して自分たちのショールームで公開すると、自分たちの会社の話になってしまう。会社よりもムーミンの新発見に比重をおきたかった。よりムーミンに自然な形でと考えて、このタイミングで発表したのだと話してくれた。社長のアンナマリアは子ども時代を90年代のムーミンアニメで育った世代、ムーミンアニメのセリフをいまだに覚えている世代で、ムーミンが大好きだった。初めてスケッチを手にしたとき、「トーベ・ヤンソンがまさにこの紙に向かって、そしてこれを描いていたんだ」と考えただけで、感無量だったそうだ。
3月に箱からでてきたスケッチには謎も多い。まずはムーミン・キャラクターズ社に連絡をし、ニョロニョロの乗ったボートに「トーベ」と書かれてはいるけれど、それが本当にトーベ・ヤンソンのもので間違いないか確認した。さらにそれが実際に商品化されたかどうかも確かめたい。トーベ・ヤンソンの姪ソフィア・ヤンソンから、トーベ・ヤンソンのものに間違いないとの返答があった。そして壁紙は、それが商品化されていることがあっさり判明した。なぜならソフィアが子どもの頃に遊んだ「遊び小屋」の壁に貼られていたのだ。
額装されたトーベ・ヤンソンの壁紙のデザインスケッチはとてもいい状態で保管されており、トーベが望んだ色や、絵の位置をずらしたりサイズを変えたりしている消し跡も、はっきりと確認できた。1952年、見開きページを3色のみで構成し、穴をあけて別のページの色が加わるように工夫された絵本『それからどうなるの?』から7年、1959年のトーベは、壁紙に8色もの色を指定していた。
当時、壁紙の主流といえば色の少ないシンプルなものだった。フィンランドのファッションや家具を見ても、色彩が鮮やかになるのは70年前後のことだ。壁紙の世界でもその頃になって多くの色を使うようになったとはいうものの、現在も使って6色なのだとか。1色ごとにシリンダーを用意して刷っていくことを考えると、8色というのは改めて相当な手間がかかっている。さらにトーベの色指定は、男の子だから女の子だからといった色彩の選択をしていないのが印象的だ。
さてスケッチが見つかったこの壁紙。多くの人が「復活するのか」と期待している。もちろん!だそう。最大6つのシリンダー、つまり6色を使った現在の機械でどう8色を出すのかなど、これからまだ検討すべきことはあるようだけれど、再生産に向けてすでに動きだしている。別のデザインながら何種類ものムーミン壁紙がラインナップされている同社では、実はアニメによるムーミンブーム以前の80年代にも壁紙を生産していた。そのときのデザインはトーベの弟でトーベからコミックスを引き継いだラルスが行っていたと思われる。
社長としてここにやってきてちょうど一年というアンナマリアは子どもの頃、ムーミン目覚まし時計で起きていたそうだ。小さな頃から一貫してリトルミイが大好きで、そしてムーミンの歴史的な発見を会社の手柄に留めておくのでなく、ムーミンの日に合わせて発表し、ムーミンが好きな人たちと一緒に祝いたいとムーミン美術館にスケッチを運んだ。ムーミンの日に都合がつけられなかった人もいる。だから9月5日までは毎週金曜日に誰でもスケッチが見られるようにしてくれていて、私が行った日は、ちょうどお祝いが重なっていたとかで、アンナマリアのお手製のケーキとコーヒーがふるまわれた。
工場の外壁は蔦が元気にのびていて、敷地内の一番古い屋根の崩れた木造の建物にはキツネの親子が住み着いているとか。近くを川が流れ、森があり、その町はマリアンネというチョコが入ったミントキャンディの発祥の地でもあった。赤と白のストライプの包み紙が目印のこのキャンディは、トーベが好きだったと聞いている。大丈夫、きっと壁紙はトーベが望んでいた色味と配色でまた世の中にでてくるはず、町を歩いていてそんな風に思えてくるのだった。
シンプルなものが好まれた当時の壁紙としては異例の8色刷りの壁紙
森下圭子