「私は女性と激しい恋に落ちてしまった」 トーベ・ヤンソンの人生と仕事における同性愛 Part1
トーベとヴィヴィカ 写真/ベアタ・バーグストローム
このシリーズでは、ムーミン谷の中でのジェンダー・ロール(男女の性的な役割)の多様性について、それからトーベ・ヤンソンの芸術と人生における同性愛というテーマについて見ていきましょう。自身の芸術を生み出す方法も、人生の選択の仕方も、トーベ・ヤンソンは大胆な女性でした。彼女はアーティストとしての仕事の中でも、一個人としても、当時の厳しいジェンダー・ロールに抗い、自身を自由に定義したいと欲していた探求者だったのです。トーベは意欲的な画家であり、小説家であり、そして子ども向けの絵本作家でもありました。そして、少なくとも若い頃は、男性とも女性とも交際した経験がありました。
彼女の恋愛へのアプローチは、トーベについてのドキュメンタリーシリーズの中で、彼女の本の出版社で友人だったヘレン・スヴェンソンがトーベの言葉として紹介した以下のフレーズによく表れています。
「私はいつも誰かに恋していた。それは男性のこともあったし、女性のこともあった。でも、大切なことは、私がその人と恋に落ちたということ」
「ある女性と、激しい恋に落ちてしまった」
トーベは女性のパートナーと45年間を共に暮らしましたが、その前にもいくつか同性との関係がありました。 彼女は同性愛が当時、社会的に認められていなかったにもかかわらず、自分のセクシャル・アイデンティティを隠そうとはしませんでした。トーベが初めて女性と恋に落ちたとき、フィンランドでは同性愛は犯罪、病気と見なされていて、1971年までは違法でした。
1946年12月、32歳のとき、トーベは友人のエヴァ・コニコフに次のような手紙を書いています。
「あなたには話さなくてはいけないことが起こったの。私はとっても幸せで元気よ、そして解放されたような気がしているの。私がいつもアートスの妻であるように感じていて、きっとそうなるだろうとも思っていたことをあなたは知っているわよね。
でも、今起こったことというのは、決定的にある人に恋に落ちてしまったということなの。その人は女性よ。そして、それはごく自然で正真正銘の真実なのよ。何の問題もないわ。私は自分自身を誇らしくに思うし、抑えがたいほどの喜びを感じている。
ここ最近は、豊かで優しく、そして激しい長いダンスをしているような日々だった。とてもシンプルで美しい新しい世界に踏み込んだみたいよ」
隠された愛の手紙
トーベが恋した女性は、ヴィヴィカ・バンドレル。農学者でカリスマ的な舞台監督でした。二人は情熱的な恋に落ち、トーベは幸せに満たされていました。トーベはこの新しい恋を世界中に伝えたいくらいの気持ちだったのですが、ヴィヴィカの方はより慎重でした。二人が交わした手紙には、ヴィヴィカヘの愛の手紙の送り主がトーベであることがわからないように、警戒していたことが見られます。
「追伸:美容師に茶色の封筒の差出人を書いてもらえたから、あなたは恐ろしい新年を迎えなくてすむわよ。きっとうまくやれる! 次は管理人、その次は食料品店に頼んでみるわ」(ヴィヴィカへの手紙 1946年12月20日)
助手とともに、フレスコ画「都会のパーティー」を手掛けるトーベ 写真/ペル・ウーロフ・ヤンソン
ヴィヴィカは、ヘルシンキ市庁舎の食堂のために制作されたトーベの大作、6×2メートルの「都会のパーティー」というフレスコ画の壁画に描かれています。これは市議会議長だったヴィヴィカの父親から依頼されたものでした。
トーベは、手前のテーブルのところに自分自身を描き、その後ろに男性と一緒に踊る、彼女の密かな愛の対象であるヴィヴィカを描いています(この絵は現在、ヘルシンキ市立美術館HAMのコレクションとなっています。ヘルシンキを訪れるなら、見逃せない作品ですよ)。 トーベの評伝を書いたトゥーラ・カルヤライネンは、これを大胆な愛の表現だと述べていますが、当時はおそらくその意図に気づいた人はほとんどいなかったでしょう。
「都会のパーティー」
次回は、ヴィヴィカがムーミンの物語にどのような影響を与えたか、またムーミンの小説やコミックスで、他にどんなジェンダーに関する興味深いテーマがあるのかを探っていきましょう。
2019年の「ヘルシンキプライド」とムーミンキャラクターズの試み
ムーミンキャラクターズは、今年、トーベが生まれたヘルシンキで行われた性的マイノリティ(LGBTIQ)のウィークイベント、「ヘルシンキ・プライド(HELSINKI PRIDE)」に参加しました。6月24日には、国立博物館でトーベの人生と芸術について、フィンランド語のレクチャーが行われました。
また、28日にはフラワーショップ、「ピルヨ・コッピ」と一緒に、フラワー・ワークショップを開催しました。このイベントは、13歳から25歳の若者に向けたもので、それぞれが自分自身の花かんむりを作りました。これは、トーベが誕生日にかぶっていた花かんむりにインスパイアされたものです。この花かんむりは、「ヘルシンキ・プライド」のために作られた新しいキャンバスバッグにも、取り入れられています。これは、1979年にトーベが伝説的なレコード・レーベル「Love Records」のために、特別にオリジナルでデザインしたもの。利益は「ヘルシンキ・プライド」に寄付されました。
翻訳/内山さつき
*手紙は、ボエル・ウェスティンとヘレン・スヴェンソンによる『トーベ・ヤンソンからの手紙』(サラ・デース/訳)より引用しています。