
(130)トーベ・ヤンソンの日本の旅
日本でムーミンの知名度が爆発的に上がったのは、紛れもなくアニメーションの功績だ。日本で制作されたムーミンアニメのシリーズは、昭和と平成の時代に登場した。私も含め人によっては「昭和ムーミン」「平成ムーミン」と呼び、これらを区別している。昭和ムーミンの放送開始は1969年に遡る。
「ねえムーミン、こっち向いて」というフレーズは昭和ムーミンのものだ。ムーミントロールの声を女優の岸田今日子さんが担当し、平成ムーミンでは「フローレン」という名のスノークのおじょうさんは昭和ムーミンで「ノンノン」と名付けられていた。
スナフキン宛てにファンレターが届くほどムーミンが人気になり、関係者はトーベ・ヤンソンの来日を何度となく打診していた。実現するまでに時間がかかったけれど、ムーミンシリーズの最後の一冊『ムーミン谷の十一月』を書き終え、最愛の母ハム(トーベ自身がムーミンママのモデルと公言していた)の最期を見届けたのち、トーベ・ヤンソンはパートナーのトゥーリッキ・ピエティラと一緒に初めての来日を果たした。1971年秋のことだ。
この時の日本での様子は、旅先で撮影された8mmフィルムをもとに作られた映画『トーベ・ヤンソンの世界旅行』で垣間見ることができる。
映像として、あるいは証言から伝え聞くトーベが旅した日本は東京のほかに京都、奈良、鳥羽、伊勢、箱根。私はまだ行ったことのなかった鳥羽や伊勢で、トーベの旅の欠片でもいいから感じられないかと、友人たちと一緒に回ることにした。海女さん、夫婦岩、海辺で海藻を手にしたと思いきやおもむろにそれを口にし、口に入れたとたん海藻をペッと吐き出す。宿泊先の鳥羽国際ホテルの紙(レストランのランチョンマット)に落書きしたものも残っている。とはいえ、私たちが知り得たのはこんなもんだ。せっかくの見知らぬ土地への旅、あとはその土地を思い切り楽しもう。できたらトーベたちのように、気ままに、予定を立てずに、だ。
トーベたちが海が見たいとお願いして連れてきてもらった鳥羽。海は青々としていて、澄んでいた。海のあちこちで真珠や牡蠣の養殖をしていて、小高いところから海を見下ろすと、海のそばにも青々と木々が茂り濃淡のある緑が広がっている。
友人は桟橋が海に突き出したかつての牡蠣小屋を夏の家にしていて、私は桟橋に寝転がってみた。桟橋の下でタプタプする海の水面の鈍い光、曇り空から吹いてくる風の肌寒さ、風が運んでくる潮の匂い。鳥はまだ見えないけれど、隣の家の岸には猫がいる。
あまり多くは残されていない情報だけれど、分かる範囲でトーベの旅をなぞりながら、偶然に巡り合う風景や人。ふと、トーベも出会っていたんじゃないか、目にしたんじゃないか、感じたんじゃないかなどと想像して旅をつづけた。
森下圭子