(201)経験すること、見方が変わること【フィンランドムーミン便り】

メーデーの飲み物「シマ」にもムーミンが登場

 

70代の知人が子ども時代によく遊びにいっていた友だちの家の話になった。腕白な男の子たちが騒いでいるのを優しく見守ってくれたのがその家のお母さんだったそう。彼はあとでムーミンを読みながら「あ、あいつの母親がここにいる!」と驚いた。いつものように騒いでいたある日のこと、ちょっとした拍子に陶器の大きな花瓶を割ってしまう。子どもが見ても高価そうな花瓶で、割れた瞬間、全員が固まってしまったらしい。彼らができることはとにかく謝ることだった。するとお母さんはこう答えた。「いいのよ。これ、この家に合わないし、私たちの好みじゃないからどうしようかしらと思っていたの。これで、ここからなくなるわね」。ああ、ムーミンママだ!

少し前に日本の森林セラピストとフィンランドの森林セラピストが一緒に森を歩いた。日本の人が松葉の先の雫をルーペで覗いてごらんという。雫には向こうの風景がさかさまに映っていた。さかさまに見える森を眺めながら、フィンランドの人たちはきゃっきゃとはしゃぎ、その勢いで岩を覆う苔に顔をつっこんで緑の匂いを嗅いでいた。海をまだ氷が覆っている時の風は特に厳しく、海辺の森の中を凍えるような風が容赦なく入り込んできた。だけど日本の森林セラピストに言われるままに風を感じ、風の行く先へ気持ちを集中させていくと、風はそれまでの風とは違って感じられるのだった。自然の要素の中でも風が苦手だったフィンランドの森林セラピストは、このとき、風に対する気持ちが変わったという。

ムーミンを読んでいると、自分に馴染みのものが、これまでとは違う印象になることもある。ムーミントロールは『ムーミン谷の冬』の中でとくにそんな経験を次々としていくのだけれど、スナフキンの言葉に私たちがはっとしたり共感したりするときも、おそらくそれは私にとって「当たり前」だったことが、そうでなくなるだけでなく、日常がこれまでより少し楽になるところがあるのかなと思う。経験を積むっていうことは、自分の中に次第にできてしまいそうな先入観や偏見を取り除いていくことなんだ。スナフキンの言動はじめムーミンの物語を読んでいると強く感じるひとつはまさにこれだ。

ヘルシンキの街はテラスの準備が進んでいる。5月1日、メーデーの風物詩はピクニックだ。これから人々が野外で過ごす時間はどんどん増えてくる。ピクニックなんて言ったら天気を気にしたものだけれど、今や、どうしてもときはどうしてもだ。大雨の中で決行するピクニックも、それはそれで愉快だ。コーヒーを飲もうとすると、雨粒がコーヒーを勢いよくうち、顔にコーヒーが当たったり。

いつもなら年が明けてから晴れが続くようになるのに、この冬はいつまでたっても曇り空が多かった。雪が地面を覆っていた期間も長かった。それでもやっと地面から花が顔を出し始めている。クロウタドリが気持ちよさそうに歌い、白鳥も帰ってきた。いよいよ春だ。今日も明日もあさっても、あちこちを歩いては春を見つける楽しさを一日の中にほんのわずかでも確保したいと思っている。

 

メイド・イン・フィンランドのムーミングラス

森下圭子