(115)おしゃまさん、トゥーティッキ、トゥーリッキ・ピエティラ

トゥーリッキ・ピエティラ展(於フィンランド国立美術館アテネウム)は4月9日まで
http://www.ateneum.fi/nayttelyt/tuulikki-pietila/?lang=en

今年になってからというもの、トーベ・ヤンソンやムーミン関連の舞台が続いている。ムーミンオペラ、スウェーデン劇場ではムーミンの作者トーベ・ヤンソンをとりあげた芝居も始まり、3月には国立バレエ団による『ムーミン谷の彗星』の再演が控えている。ちなみに国立バレエ団はそののち、ムーミンバレエの場を日本に移し、『たのしいムーミン一家 ~ムーミンと魔法使いの帽子~』を世界初上演する予定だ(4月)。

舞台の話はまた改めてするとして。2月の終わりにフィンランドの国立美術館でトゥーリッキ・ピエティラ展が始まった。トゥーリッキ・ピエティラとはトーベ・ヤンソンのパートナーであり、トーベ自身が公言している数少ないムーミンに登場するキャラクターのモデルでもある。トゥーティという愛称で知られるトゥーリッキ・ピエティラは、『ムーミン谷の冬』で登場するおしゃまさん(アニメではトゥーティッキ)のモデルだ。またトーベはトゥーティがいなかったら、自分はムーミンを続けられなかったということも明言している。

ムーミンの爆発的な人気とともに、トーベのパートナーとして認識されるようになってしまったトゥーティ。でも、フィンランドの美術史に欠かせないグラフィックアーティストなのだ。第二次世界大戦後に留学を果たし、当時のフィンランドではまだ馴染みのなかったようなグラフィック技術を次々と習得していく。もっとも、年齢的にはもっと早くに留学してもよかったのだけれど、それは戦争によって叶わなかった。別の言い方をすれば、留学したときには、すでに基本が十分すぎるくらいに備わった状態だったため、習得も早かったのではと考えられる。

トゥーティの作品は、ありとあらゆる技術を体得しながら、どこに偏るでもなく頼るでもなく、時にはいくつもの技術を融合させながら、自分の道を歩き続けた人だという印象だった。しかも作品とタイトルの相性やバランスが秀逸で感激した。例えば赤と灰色の躍動的な作品。炎が瞬間的に灰になったような、情熱と、燃え尽きるほどの熱量の情熱の重なり合いを思わせるその作品には『革命』と名づけられていた。どこかドラマチックで、どこか冷静なその感じを見ていると、やはりトーベ・ヤンソンとの共通点を思わずにはいられない。

そういえば、トーベ・ヤンソンのムーミンの挿絵は変化し続けた。ムーミンの体のふくらみも、やがては挿絵のスタイルまでが一冊ごとに違っていく。ムーミンの中でも大胆に新しい技術を試みたのは『ムーミン谷の冬』から。『~冬』ではときおり地を黒く塗り、引っ掻いたり削ったりしながら白い線を出して絵にしている。この技術などはトゥーティの影響をもろに感じるものだ。

枠にはまらず、好奇心旺盛に生きたトーベとトゥーティ。自分らしく生き、そして自分らしい作品を次々と発表したふたり。生涯手を動かし続け、自分がそのときにやりたいことを忠実にやった人たち。トゥーティは晩年映画の世界に興味をもち、トーベは小説を書き続けた。周囲は版画だムーミンだと待っていたかもしれないけれど、彼女たちは自分たちが一番にいと思った方法で、自分たちの表現の場を守り続けた。そんなことをぼんやりと考えながら、美術館を後にした。

森下圭子


ムーミンバレエ『たのしいムーミン一家 ~ムーミンと魔法使いの帽子~』についてはこちら

こちらはムーミンワールドのトゥーティッキ(冬仕様)。