(176)勇気って簡単じゃない
トーベ・ヤンソンというと、自分の人生を生き切った強い女性のイメージがある。意志を貫き、そうしたいと思うことはやる。でもトーベ・ヤンソンの本を読んでいると、登場人物の誰かが勇気を出す場面にしばしば遭遇する。ああ、この人は勇気を出すことの難しさを知っているのだろうなと思う。
最近トーベ・ヤンソンが戦時中に描いた風刺画や、平和を願ったカードの絵をSNSでちょくちょく目にするようになった。平和を願うカードはユニセフのためにトーベが描き下ろしたもの。戦時中の風刺画はガルム誌のために描いたもので、若い女性が本名で風刺画を描いたことは、今も驚きをもって評価されている。そして容赦ない風刺画は、今のこの時期に絵だけを見るとドキッとする。そして、その気持ちのもっていき所を時々失ってしまう。私はこの絵に今、どう反応すればいいのだろう。
トーベは最初から勢いよく牙をむけられていた訳ではない。戦時中にトーベが友人に宛てて書いた手紙がある。
「目に見えない実体のないものが、国民の総意のように迫ってくる。標語やキャッチフレーズによって植え付けられる価値観。いろいろなことが柔軟性を失い始め、物事は一貫性を失っていく。そんな中にあって昔ながらの偏見や原則がしぶとく残るばかりか、大きくなっていくのです。矛盾だらけで、あらゆることが不可能になり、じっくり話し合うような場はもうほとんどありません。声を荒げるか喧嘩するか、言葉を呑み込むか。私は言葉を呑み込むことにしました。」
トーベ・ヤンソンが友人に宛てて書いた手紙の一部『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』(ボエル・ヴェスティン著・畑中麻紀+森下圭子訳)より
トーベ・ヤンソンは戸惑っていた。心はどんどん萎んでいき、画家トーベ・ヤンソンの要でもある色彩を失うほど苦しんだ。でも、やがてトーベ・ヤンソンは自分の声を外に出し始めた。風刺画はその一つ。国民の総意のような顔をした世相や世論なんていう実体のない声に対峙するように、自分の名前で風刺画を描いた。痛烈に批判し、牙をむく。同時に、トーベの絵の中にはどこか別の意味で歯を見せるようなところがあった。ユーモアだ。
トーベの風刺画がSNSなどで不意に目に入ってしまったとき、私はその中に、トーベが見せるユーモアを探す。そうすると、それが勇気に繋がる気がしてくるのだ。自分が持っている言葉にできないザワザワした気持ち、自分の中のもやもやが、ユーモアを前に少し緩む。それでもいいんだよと言ってもらえているような。いつかこれが声になる日が来るだろう。その時に何がきっかけで勇気をだせたのか、ちゃんときっかけになったものも声にのせたいなと思う。ユーモアなのか、その他のものなのか。勇気って簡単じゃない。
森下圭子